ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

ホームレス向けの炊き出しで晩飯食ってきた

といっても、ホームレスの方々と一緒に並んで配給してもらったわけじゃなくて、あくまでボランティアとして参加したことでおこぼれを頂戴したという話。たまにはこういう釣り的なタイトルで遊んでみたくもなる。

まあそれはどうでもいいとして、とりあえず良い勉強になった。

自己満足な参加理由

まず、困っている人を助けたいとかそういう慈愛から来る理由では全く無くて、単に彼らという存在に興味を持っていたからだ。

「異文化に触れたい」という理由で東南アジアを旅行する学生と基本的には同じ衝動で、自分と同じ世界 (日本, 東京) にいて何故こんなに違う生活をしている人々がいるのかという疑問をちゃんと考えてみたくなっただけである。

ある程度の知識は本で学んできたつもりだが、それを知識ではなく自分の知恵とするために今回活動に参加、というか首を突っ込んでみたわけだ。

あとは僕自身の状況として、来月いきなり無職になることも十分想定できるような不安定な所で働いている為、決して他人事じゃないと常々思っていたというのも理由としてある。

参加者

代表や幹部らしき人は30代や40代だと思われるが、参加者の中には高校生もいれば元ホームレスの70代のおじさんもいたりして年齢層はかなり広い。

初参加は10名近くいて現役の大学生が多かったのだが、これは最近の傾向だそうで、採用面接でのネタ作りとして来ている輩がいるらしい。そういう学生はまずボランティアを継続的にやっていくつもりは無いので、グループで押しかけられると運営側はやや扱いに困るようだ。

残飯が多い

僕はゴミの分別を伝えるためのサンドイッチマン的な役割だったのだが、プラスチックの皿やスプーンを捨てる際、人によって表情や言動が結構違うということに気付いた。

にこやかに「ありがとう」と言ってくれる人、僕のような見ず知らずの人間といきなり世間話を始めようとする人、何度も申し訳無さそうに頭を下げる人、こちらに視線を向けずに走り去っていく人など様々だ。

また、おかわりをしたが食べきれず残す者もいれば、野菜だけ丁寧に取り除いて捨てている者もいて正直唖然とした。

それでも殆どの人は完食しているし、中には2杯目をビニール袋にザーッと流しこんで明日の食料として確保している人もいたりして、なかなか切実でリアルな現場も目にすることが出来た。

ぼっちホームレスが多い?

意外だったのは、殆どのホームレスの方々が一人で並び、一人で静かに食べ、一人で帰っていくということだ。

公園や河原などで定住しているホームレス達は、そこで形成されるある種のコミュニティの一員として生きていると何かの本で読んだことがある。ここでは毎週同じ炊き出しで顔を合わせているのだから、皆ちょっとした「仲間」の一人や二人いるもんだと思っていたが全然そんなこと無かった。

和気あいあいと会話を楽しみながら食べているおじいちゃんグループもいたが、30〜50代の比較的若い人は基本的にぼっちだった。

自分と同じような境遇の「仲間」がいないというのはかなり辛いのではなかろうか。情報も入りづらいし何より精神的な安らぎを全く得られない。もしかしたらこれが若年層ホームレスがなかなか社会復帰できない要因の1つなのかもしれない、という新しい発見になった。


わずか数時間の作業だったが、かなり濃い経験が出来たように思う。

炊き出しだけでなく、他にも様々な支援活動が同じ場所で同時に行われており、炊き出しはあくまでイベントの一つに過ぎないのだと幹部的な人から教えてもらった。結局今日生きる為のご飯を与えるだけでは何も変わらない、という典型的な話に繋がるわけだ。

ここで詳細を書くつもりは無いが、一緒にゴミ箱エリアを担当していた元ホームレスのおじさんが社会復帰した話や、活動資金やら関連団体の話、「結局はホームレスのやる気次第」という現場からの生々しい意見など、ネットでは決して得られない貴重な話も沢山聞くことができて本当に良かった。

現時点で次回の参加は考えていないが、まだまだわからないことだらけなので一度自分の中で知識を整理し、新しく知りたいことが明確になればまた参加させてもらおうと思う。

入社半年だけど会社が無くなりそうだ

社員10名のベンチャーというと、お互い共通の理念をもって団結してやってきたんだろうという勝手なイメージがあったが、実情は全くの正反対だということが段々とわかってきた。

予想以上に沈没間際

目標がはっきりせず資金調達も上手くいっていない状況において、メンバーは皆それぞれ会社への依存率を急激に落とし始めている。社外では個人として人と会い、実際に外部での仕事の割合を増やしている。皆自分専用の脱出ボートの準備を着実に進めているというわけだ。こういう傾向は最近始まったわけでは無く、僕が入社する何ヶ月も前から続いているようだ。

社員がバラバラというより、社長 vs 従業員全員という構造になってしまっている。その原因は社長の知識レベルの低さ、でたらめな理念、社長が使いすぎる経費、従業員への給与支払いの遅れなどなど…。先輩から聞いていると逆に恥ずかしくていたたまれなくなる。

創業者同士の意見が対立して分裂…ってパターンはIT系のベンチャーにつきものだが、ウチの場合まず社長がまともに議論できるような土俵に立ってくれない (現状認識力が無い、またはその意思がない) からどうしようもないらしい。

一般的な株式会社なら株主総会でこういった問題点を報告し、社長の解任という流れもありうるだろうが、創業者の友人が株式の大部分を保有しているらしく全く身動きがとれないのだ。

僕と同時期に入社したヤツは「みんなで話し合えばどうにかなります!」と、かなり楽観的に煽るので若干ウザがられている(それはまた別の問題である) のだが、僕が思うに、入社半年程度の新人が考えるようなことなんて既に試し尽くされているはずだし、そういう先輩方の苦労話を何気ない飲み会でポロポロ聞いているから何となくわかる。

会社という母船の修復という意味では、今の僕に出来ることなんて無い。

誰しも自己中心的でいい

先輩同様に自己保身に走るのが賢明なんだろう。もちろん今の会社で学べることはあるが、いつまでもいられないのが確実である以上、自分の時間を犠牲にしてまで会社に尽くす必要は無い。これは自己中だろうか?

多分違うというか、人間皆本来は自己中心的であって、それをお互いに理解した上で付き合える人こそ本当に信頼できる人なんだと思う。社員の幸せは会社の幸せと言いつつ経費の支払いが遅れるのは、ここで言う「自己中心」の意味を社長がわかっていないからだろう。

先輩がよく言うのは、中身のない「中立」が一番の悪だ、と。自分の意思が伴わない中立は結局人任せ、責任逃れであって、本気で中立を取るならスイスのように覚悟を決めて武装すべきだ、ということだ。

なるほど上手い言い回しだなとは思ったが、正直言って目新しさは無く、つまり既に自分の中にある感性と近いということなんだろう。ここに入社したことでこういう人たちに出会えたことは「僕にとって」良かったとしみじみ思う。

少し脱線したが、とりあえず職歴1年達成は難しそうだ。

入社4ヶ月だけど面接官になった

うちの会社も例に漏れず深刻な人手不足らしい。アベノミクス云々というより、ようやく会社としての形が出来上がりつつあるこのタイミングで人材を増強していきたいそうだ。

僕はまだまだ学生に毛が生えた程度だしとても新人を指導するレベルじゃないので、会社的にも個人的にも、出来れば即戦力となるキャリア人材が欲しいところだ。しかし、うちではこれまで何度か中途採用に失敗しているらしい。所謂ミスマッチというやつだろうか。1ヶ月程で辞めてしまったり、逆にろくに働かず数ヶ月居座ったり…。

そんなこともあってキャリア採用に消極的になっており、今回の採用は既卒第二新卒など経験の少ない人をターゲットにすることになった。

社長の方針としては、最初の面接では学歴や経歴は関係なく、「一緒に働けるか」や「飲みに行けるか」だけで判断したいらしい。そこで志願者と一番年齢が近いであろう僕が、一次面接の面接官に抜擢された。

まあ面接官と言っても僕の一存で採用・不採用が決まるわけでは全然なく、あくまで一次面接。窓口係のようなものだ。よっぽどでない限り通過させることになると思う。

それにしても、ほんの4ヶ月前までは、履歴書を持ってあちこち面接を受けては結果に一喜一憂していた僕が、今度は逆に面接を課す側になるとは…。なかなか不思議な感覚だ。

志願者とは桁違いのプレッシャー

若手社員を面接官にするのはベンチャー企業などでは結構よくある話らしい。若手を採用したいのなら感覚の近い若手社員に選ばせるという理屈だが、僕の場合いくらなんでも若すぎる気がする。今年の4月から新卒で働いてる23歳の若者よりも社会人経験が少ないのだから。

よく言われる話ではあるが、面接官もまた志願者によって評価されることになる。僕の未熟さが見抜かれ、有能な人間が皆辞退していくという最悪な可能性もありうる。そう考えると無茶苦茶責任重大ではないか…。

質問に答える練習ならこれまで多少はやってきたつもりだが、面接官なんて全くの未経験。とりあえず定番の質問で時間を稼ぐことはできるが、実質的にはどんな質問をしてどこを見て人物を評価すべきかさっぱりわからない。多分志願者以上に不安だらけだ。

僕自身、将来やりたいことも明確にないまま、何となく自立したいという思いだけで採用された分際なので、かっこいい志望動機を突き付けられても引いてしまうだろう。とはいえ、本当に中身が空っぽの人間を入れてしまっては会社として後々大変になる。

これは思ったより厄介な仕事なのかもしれない。

xvideos動画を複数まとめて同時再生する玄人向けツール

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作ってみた。当たり前だがGoogle公式アプリストアに登録できないのでインストール作業が少し面倒になる。

ダウンロードリンク

Chrome拡張機能のページを開き、ダウンロードしたパッケージ (v1.0.crx) をドラッグ&ドロップすればインストールされる。 正常にインストールされていれば、ブラウザの右上にアイコンが表示されるようになる。ブランクアイコンのままだが。

使い方

  1. xvideosサイトを開く (xvideosのリンクさえあれば適当なブログでもOK)
  2. 気になった動画のサムネイルを右クリックし、multix という項目をクリック (この操作を適当に繰り返す)
  3. 右上のアイコンをクリックすると、タブが開き、先ほどクリックした動画が全て登録されている

バグ

さっき確認したら、初回起動後のみ、動画が重なってしまうバグを発見した。一応タブをリロードすれば直るみたい。気が向いたら修正する(多分しない)。

所感

プログラムの名前はmultipleなxvideosってだけ。いつも思っているけど本当に名付けセンスが無くて嫌になる。

同時再生できる動画数は不明だが、多分マシンスペックが許す限り増やせるんじゃないかな。僕のおんぼろノートPCでは8つが限界だった。

当初は再生のタイミングも同時にして、完全に自動再生にしようと思ってたんだけど、iframe内のflashを操作する方法がわからなかったので断念した。まあ自動だとPCへの負荷を制御しにくくなるだろうから手動でいいかもしれない。

UIの設計に一番時間がかかっている。最初はデスクトップアプリのようにドラッグ&ドロップで動画の位置を移動できるようにしていたんだけど、動画の追加と削除を繰り返してくうちに小窓がぐちゃぐちゃになって操作性が悪くなる気がしたので、結局移動機能はごっそり削除した。

代わりに、カラムサイズに応じて動画の位置とサイズを自動で調整する仕組みをちゃんと作ってみた。軽くアニメーションがあるだけでUXは格段に良くなるんだと実感。

画面を有効に使うために、動画にマウスオーバーすることで削除リロードボタンが現れるようにしてみたんだけど、これはユーザビリティ的に良い感じだと思う。

あと文言の選定が難しいと思った。現状としてはColumn Upという表記がわかりにくい。Upだと大きくなりそうだが、一行に表示する動画数が増えるから実際は動画サイズが小さくなる。普通に拡大縮小とするべきだろうか。

今後の課題としては、xvideos以外の動画への対応だろうか。iframeで表示してるだけなのでURL書き換えテーブルさえ作ればいいはずだし、割とすぐに出来るような気がする。

個人的にネット動画は一期一会を楽しむタイプなので履歴やマイライブラリなどのアーカイブ機能は正直いらないと思っている。 (以前見た動画が見つからない切なさ、忘れた頃に再うpされているのを発見した時の高揚。実に趣深い。)


今回はBackbone.jsやChrome Extensionだけでなく、BootstrapのTooltipだったりjQuery UIについても触れるいい機会となった。本当はユーザからのフィードバックを受けたいところだけど、残念ながらエロツールの話題ができるほどの知り合いがいない。

迷ったらエントロピーの高い選択肢を選ぶ

昼休みに公園のベンチでボーっと考え事をすることが日課になっている。どっかのお爺さんの様だけど、思い返せば色々あったなあと。そして今この場所に独りで佇んでいる状況自体が、たまらなく滑稽で面白い

一年前と言えば、ちょうど長野での農家バイトを終え、野宿しながら原付バイクで東日本を放浪していた頃だろうか。

ニートだったあの頃は一年後どうなってるかなんてあまり考えられなかったし、ましてや何のツテも無いのに関西の田舎から上京して来て、東京のど真ん中でエンジニアをやっている自分なんて全く想像もつかなかっただろう。

そんなことを考えていて一つ気付いたのは、想像もつかなかった、つまり想定外の出来事に対して僕は面白いと感じてしまうということだ。

不安定依存症?

今まで何となく色々な選択を繰り返してきたが、選択の結果をある程度想定できる方向には進んでいない場合が多いように思う。

大学受験では補欠でギリギリ合格できたものの、当初志望していたのとは全く違う分野を何となく選んだし、それも飽きて何となく休学したりもした。

「思慮が浅くて直感的」と言えばそれまでなんだけど、やっぱり何が起こるかわからない、言い換えれば可能性で溢れている方が面白い。

で、どうせなら今後はその方針を貫いてしまおうかと思う。

えんとろぴー

多少不安だったり嫌な選択だったとしても、何も起こらない方向へは絶対に進まない。これは逃げる・逃げないの話に似ているが、あくまで目的は混沌。立ち向かうとかそんな高尚なものじゃない。

理系的に表現するならエントロピーな選択肢と言えるだろうか。

エントロピー
    原子的排列および運動状態の混沌(こんとん)性・不規則性の程度を表す量。

前回の記事で「将来どうなりたいかしっかり考えなくては」と書いたものの、やっぱり今のところ何も見えていない。なのでしばらくは自分の目の前を混沌(可能性)でいっぱいにすることを目指してみようかというわけだ。

それで何か掴めるかもしれないし、余計こんがらがってわけがわからなくなるかもしれないがそれはそれで面白い。とりあえず常に何が起きるかわからない不安定な位置に立っていたい。

結構真面目に考えたつもりなんだけど、これってふざけてるのかね。