ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

関心と自己肯定感

例えば流行りの音楽に興味をもてず、結局学生の頃から聴いている曲をリピートしていたり、知らない飲食店に入っても特別美味いと感じることもなければ、より美味しいものを食べたいというモチベーションも沸かない。明らかに新しいものに対する感性が鈍くなってる。

まあ思い返せば、子供頃から無邪気にはしゃげるタイプではなかった。本当に心の底からワクワクしたことが無いのならそれはそれでなかなか悲しい人生だが、おそらくはそういう気持ちを自分自身で認知することが苦手なんだと思う。

好きなことをするには、お金や時間などのリソースの問題もあるが、まずは自分が何に関心があるのか知っていることが大前提だ。「自分が好きなことは自分しかわからない」のだから「自分が好きなことを自分は知っている」のは当たり前だと思いがちだが、これは大きな罠だろう。これまでまんまと騙された。

もちろん今でも好きなアーティストや作家、仕事に対するこだわりなど、関心の対象は無数にある。なのにそれを全力で肯定できない。「好きならやればいいじゃん」と言われて「別に...」という言葉が口から出かけるほどに、自分の気持ちに自信が無い。まったくもってダサい男だなと思う。

特に具体的なエピソードは思い浮かばないが、もしかすると自分の趣味を否定されたトラウマを無意識に抱えているのだろうか。匿名のSNSですら抽象的な言葉しか吐き出せないのもそれが理由かもしれない。

ということを考えていて思いついたのが、これが本当の意味で「自己肯定感が無い」というやつなのではないかということ。

自分のスキルや仕事の成果に自信が無いわけではないけど、そんな客観的に評価しやすいものを名刺にしているだけでは一向に強い自己肯定感は得られないのではないか。第一、人間としてつまらない。というかそれはただの「スペック」であって、そんなの人間である必要が無い。

自分の関心に真っ直ぐな人が羨ましい。たとえ履歴書に書けるようなスキルや経験が無くとも、そういう人こそ強い人間だと思う。