ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

起業家の資質が無い

前回、主に僕の能力の低さのせいで、共同創業者とうまくいってないということを書いた。その続きを書く。

neetwork.hatenablog.jp

今週、投資会社の紹介で、某有名Webサービスの取締役をやっていた方(以下、メンターと呼ぶ)と面談してきた。いわゆる連続起業家で、そういう界隈に疎い僕でも名前を聞いたことがあるほどの有名人だ。こんな低レベルな相談をしていいのかという後ろめたさと恥ずかしさに苛まれつつ、メンターとの面談に臨んだ。

事前に送った相談内容に沿ってダメ出しやアドバイスがなされるものと思っていたが、話は全く想定外に進んだ。メンターは、なんと僕ではなく相方に問題があると言う。いわく、相方は「起業したいだけ」なんじゃないかと。

世の中の大半の起業家は、周りの意見を聞かず自分のアイデアが唯一無二だと過信し、そのまま失敗していくのだと言う。僕らのチームはそのパターンというわけだ(あるいは僕に成長の余地が無いと判断して話をすり替えたのかもしれない、と考えるのは悲観的過ぎるだろうか)。

もし僕の反対意見が的を射ていて、それでも相方が耳を貸さないということならたしかにそうなんだろう。肯定しか受け付けてくれないと感じることもある。一方で、僕の洞察や言語化能力が弱いのは確実だし、否定的な意見が多いばかりか代案も出せないとなれば、相方としても付き合い切れないだろう。

面談の最後には、僕だけでなく相方のためにも「君はチームを離れるべきだ」とメンターに断言されてしまった。ここには書いてないような新しい観点は得られたものの、相方への疑念も強化されてしまい、この起業に纏わる悩みはしばらく続きそうだ。

実は今週から事業の計画がまた変わり、新たにプロトタイプを開発することになった。相方も「期待しすぎた」ということで、僕を議論の壁打ち相手ではなくエンジニアとして働かせる方が良いと判断したようだ。

そのプロトタイプ開発には技術検証も必要で、最終的なゴールを達成できる自信は全然無いのだけど、そのためのロードマップはある程度描けるし、何を求められてるかわからない議論を振られることに比べれば、気持ち的にはかなり楽だ。開発に専念するという名目でしばらくリモートワークとなったが、正直これも精神衛生上かなり助かっている。

ただしチームとしては極めて不健全な状態なので、いつまでも問題を先送りするわけにはいかない。今回指摘された相方の問題が無かったとしても、そもそも僕には0から何かを生み出す仕事は向いていないような気もしている。任された仕事はこなすが、メンターの言う通り「共同創業者」という立場からは身を引くべきなのかもしれないな。

感想レベルの洞察力

以前書いた起業の件、かなりまずい感じだ。

僕もある程度まとまったお金を出して相方と会社を設立したはいいが、当初考えていた事業アイデアは投資家や顧客に全く響かなかった。結果、去年末までそれなりに頑張って用意したプロトタイプも公開されることなくお蔵入りとなった。

まあ計画の1つや2つポシャるのは想定内なのであまり気にしてない。

今はまた別の構想を考えてはいるものの、顧客とヒアリングしては軌道調整を繰り返し、開発工程に進められないでいる。そんな「進んでる感」が得られにくい状況もなかなかにしんどいが、ある意味創業フェーズの醍醐味でもあるし、やるだけって感じだ。

問題は相方との関係だ。僕の洞察や議論のレベルが低いことに、相方が相当苛ついている。

これまで僕は技術検証やプロトタイプ開発に集中していた。計画が振り出しに戻り、相方との議論の機会が増えたことで、僕の能力の低さが露呈してしまったようだ。

どうも僕の洞察はいつも「感想レベル」らしい。限られた情報の中、一応自分なりに意見を述べてきたつもりだったのでかなり困惑してしまった。

相方に対し「なぜこんな弱い根拠でそこまでの結論を出せるんだろう」となんとなくは思っていたが、これが能力の差というやつのようだ。同じ理念を抱いていた相棒が、突然遠い存在に見えるようになった。

何度か真正面から詰められたが、それでも僕の「感想」が改善されないので、相方は諦め始めている。一時期は何時間も議論していたのに、今はそれぞれ、というか僕だけ、極めて限定されたタスクを任されるようになり、雑談レベルの会話すら減ったように思う。相方は業務委託として参加している優秀なデザイナーとの議論の方が多いくらいで、確かに僕と話すよりも建設的に進んでいるように見えるので、僕は何も言えない。

相方の立場で考えるとかなりきつい状況だろう。共同創業という形で会社の株も託した相手が、実は同じレベルの議論すらままならないようなヤツだったわけだ。失望や呆れだけでなく、裏切られたとさえ感じるかもしれない。

コンビとしては極めて不健全な状態だけど、それでも相方は理性的に判断しているようだ。投資会社から紹介を取り付け、その道では有名な人を僕のメンターとしてセッティングしてくれた。僕も相方もそれに一縷の望みをかけている。

今後もメンタリングが続くかわからないが、とりあえず来週面談することになっている。僕の無能さについては、メンターからの意見も聞いた上でまた書いてみようと思う。

全部捨てたら当事者意識ってやつがちょっと見えた

会社の研修とかでよく使われる「当事者意識」とか「ジブンゴト」とかの話。

もう7年も前にこんなことを書いた。 neetwork.hatenablog.jp

当時は当時なりに考えて答えを出してみたけど、最近ちょっとアップデートできた気がしたので書いてみる。

まさかの起業

この1年フリーランスとしてのんびり暮らしつつ、転職活動もなんとなく続けていた。20代の頃のような謎の情熱を持って取り組める仕事は無いかと、一応探すには探していた。

が、燃え尽き症候群なのか精神的な老化なのか、本当にやりがいを感じられると自信を持って言える仕事は全然見つからなかった。もう長野かどっかの田舎の一軒家で犬でも飼って、最低限の銭を稼ぎつつ穏やかな余生を過ごそうかと、半ば本気で考えたりもした。

そんな折今年の5月だったか、久しぶりに前職の後輩から「起業しようとしている人がエンジニアを探しているので会って欲しい」との連絡があった。

これまでスタートアップ企業とカジュアル面談をしたり立ち上げフェーズのチームを手伝ったりする中で、「起業、起業」と意識だけは高いが、事業アイデアが微妙だったり途中で諦める「自称起業家」を数多く見てきたので、あんまり期待もせず、とりあえずただの飲み会のつもりで会ってみることにした(随分と偉そうだ)。

実際に会って話をしてみると、革新的なアイデアこそ無いもののこれが大変気持ちの良い人物だった。その場で意気投合!とまではいかないまでも、「コイツとなんか色々やってみるのも面白そうだ」という自分の直感に従い、チームが結成された。

業務委託の仕事を減らし、ドトールの安いコーヒー1杯だけで何時間も顔を突き合わせて議論を重ねる日々を過ごし早4ヶ月。現在はほぼ毎日朝から晩まで議論したりプロダクト開発を進めながら、資金調達の準備をしている。来週にはいよいよ役所に届け出を出しついに法人になる予定だ。

本当の当事者に当事者「意識」は不要

家賃をギリ払えるレベルまで収入は激減し、人間的な生活も破綻しかけている。背水の陣に追い込まれた(追い込んだ)わけだが、この焦燥感こそ、自分がずっと求めていたものなんじゃないかと思った。

もちろんただプレッシャーを感じたいマゾ気質というわけではない。この戦況をどうにかできるかどうかが全て自分次第であるという、ある種の全能感のようなものだろうか。これが大変に心地が良い。苦楽を共にする相棒がいるということも謎のやる気に繋がっていて、これが本当の「チームワーク」ってやつなのかなとも思う。

つまり結局のところ、責任やらお金やら人生やら、何か大きなものを本気で背負う覚悟が無いと当事者ってやつにはなれないのではないか。

一般的な雇用契約では、従業員にそんなものを賭けさせることはできない。だから会社が社員に課す「当事者意識」なんてものは、本来の言葉の定義からしても矛盾している(というのは流石に言い過ぎだろうか)。

逆に本当の当事者であれば、当事者「意識」なんて言葉を掲げる必要すら無いとも言える。これまで僕がその単語に対して一度も腑に落ちなかった理由が少しわかった気がした。

再びニート

会社に勤め始めてニートじゃなくってからもブログのタイトルを変えなかったのは、普通の社会人として落ち着くことへの抵抗と、あのモラトリアム期間を忘れたくなったからだが、ただ夢を語り、何の価値も生み出していない今の僕はニート同然だろう。8年ぶりの回帰ということでなかなか感慨深い。

6月からこの活動を始めたが、実は既に何度も方針転換している。つい先日もまた方針が少し変わり、全く順調とは言えない。おそらくこのままでは投資家から資金は得られず、背水の陣どころか片足が浸かっているような状況だったりする。

これからあと数ヶ月後、ニートを脱しているのか、はたまた完全に濁流に流されているのか。「意識」する余裕なんて全然無い今こそ、まさに「当事者」であると自信を持って言えそうだ。

チームの成長と崩壊を同時に見た

正社員という身分を捨ててそろそろ1年になる。

国民健康保険や税金の納付、確定申告など、いい歳してこれまで知らなかった社会の常識に振り回されながらも、意外とテキトーに生きていけるような感触を得た1年だった。

職務経歴書は定期的に更新しているものの、こういう生活環境や心境の変化についてはどこにも記録しておらず、1年前のことすら記憶が曖昧になりつつあるので一応ここに記しておこうかと思う。

今回はとりあえず、この1年最もお世話になっているA社について。

お試し期間(時給1xxx円)

前職を辞める少し前に、カジュアル面談を積極的に受けるようになっていた。10社ほど面談した中である貿易関係のスタートアップ(A社)に興味が沸き、入社前提で業務委託として働くことが決まった。お互いにとってのお試し期間ということで、時給は飲食店のバイトより少しマシというレベルだった。

最終出社が終わり、8月から本格的にA社で働き始めた。

社長を含めメンバーは僕より若い人が多いのにも関わらず、会社としては既に売上がしっかりと立っていた。自分よりも優秀な若者に刺激を貰えそうだと思ったのが志望理由の1つだった。

当初の僕はかなり奥手に振る舞っていたように思う。自分が今まで触れてこなかった技術スタックを扱うということもあって、なんとなく違和感を感じる設計や実装についても、あまり意見しないようにしていた。

最初の1ヶ月はメインの開発業務から少し離れたところでインフラの整備をやっていたが、それでも段々とこの組織の「虚」のようなものが見えてきた。

少人数なのに

当時の開発メンバーは社員2名に副業が3名(+自分)という体制で、会社の規模からすると人数的には恵まれていたのだけど、実際はほぼ全員が経験2年以下くらいのジュニアレベルだった。今どきは新卒でもブイブイ言わせているエンジニアがネットにはうじゃうじゃいるので、経験年数についてはあまり気にしていなかったが、まあつまるところ、技術に関しては信頼を寄せられるようなメンバーではなかったわけだ。

ただ技術面で自分にとっての学びが無かったとしても、このメンバーを成長させられれば貴重な経験になるはず。これも新しいチャンスと思って自分から積極的に関わるようになった。

そもそもメンバー間でのコミュニケーションが希薄だったので、Slackの分報チャンネルや最近流行りのバーチャルオフィスツールなど色々と提案してみた(今も継続されてる)。あと、その頃には新しい技術スタックにも慣れていたので開発のレビューもやるようになった。

ジュニアレベルが多いということもあってフルスタックな人がおらず、作業が分担されていて(これ自体は問題無いけど)、それによってフロントエンドとバックエンドのエンジニアの間で溝ができていたのも大いに問題だった。

この会社規模なら全員がフルスタックであるべきという僕の理想を話したが、とは言えすぐには実現が難しいので、まずは全体での定例会議を設置して、チームを横断して相談できる機会を作った。あとは開発環境を整備したり自動テストを導入して、専門外の開発に参加するハードルを下げることに注力していった。

先輩風を吹かせていると思われないよう自分なりに気を使ったりもしたけど、幸い人間的には良い人ばかりだったので杞憂だったと思う。

その後少しメンバーの入れ替えはあったものの、現在はフロントエンドとバックエンドのエンジニアが自発的にタッグを組み、並走しながらリリースまでもっていくような体制になっており、当時からすればかなり雰囲気は良くなった。

まあ僕がいなくても結果は変わらなかったかもしれないし成果も測りようが無いけど、こういうチームの変化に携われたのは僕にとっても良い経験になったと思う。

社長は孤独

がっつり働きだして1ヶ月が経過し、このまま入社してリーダー的なポジションをやるのもやぶさかでない気もしていたが、開発メンバー以外の組織についても疑念を感じ始めていた。

どうも社長が孤立しがちだった。本人の人柄も影響しているだろうけど、根本的には経営的な視点を持つ社員が一人もいないことだと思った。その結果ワンマンな采配になってしまい、社員との溝ができてしまうという、なんかありがちな感じ。

曖昧な感覚ではあるけど、やっぱり組織の代表にはある種のカリスマ性が必要だと思う。たとえメンバーの知識やスキルが低かったとしても、彼らを疎外せずにリードする器量が無いと組織はうまく回らない(僕には無いものだからこそ、直感的にわかる)。

悪い人ではないし熱意も十分あるのだけど、この社長で大丈夫なんだろうか。社員はちゃんと付いてくるだろうか。

そういった疑念を解消することができず、僕は社員として入社することを躊躇し始めた。

実際僕の疑念は的中してしまい、今年のはじめから5月頃にかけて、社長直属のメンバーは営業もCSも全員入れ替わってしまった。2週間くらいで辞めた人もいる。スタートアップの離職率は一般的に高いとは言え、1年と経たずに社員の半数以上が居なくなるのはやっぱり何か問題があったのだと思う。

直接話したわけではないけど、社長も思うところがあったんだろう。以前はポテンシャル採用ばかりだったのが、今は中堅どころの人材を採り、マネジメントを一部移管している。これで組織がまとまるかどうか、半年後に期待したい。

ちなみにエンジニアは逆に副業から社員になった人もいて、チームはむしろ強化された(これは流石に僕の功績ではなさそう)。

自由身分

結果として、僕は今も業務委託として働いている。

この自由気ままなポジションが板についているし、しばらくこのままでやっていくのだろう。あと最近、成り行きで起業に巻き込まれそうになっていることもあって、身軽でいたい気持ちもある。これについてはまた今度書こうと思う。

辞めた会社がその後2ヶ月で上場した

今年の7月、5年勤めた会社を退職した。厳密には有給が溜まっていたので完全に離職したのは9月上旬になる。

それから2ヶ月、在職中は僕も含めて社員一同(?)で目指していた新興市場への上場がついに決まったらしい。嬉しい反面、少し複雑な気持ちも残るので文章に残そうと思った次第。

上場の準備を進めていることはもちろん社内では公にされていたし、事業部の数字的にも今回こそはいけそうな気がしていた(コロナで何度か延期になった)。なので知人からこの知らせを聞いたときは寝耳に水というほどでもなかった。

それにしても、我ながら絶妙なタイミングで辞めたなあと思う。

ベンチャー企業なので離職率はそれなりに高く、それ故これまで同僚たちを散々見送ってきたし、思い返せば自分が退場する機会だって何度もあった。特に直近1年間はほとんど仕事をしておらず、かと言って外に飛び出す勇気も無くズルズルと惰性で働いていた。引き伸ばして引き伸ばして、そしてこの上場直前に離脱、というのがとても自分らしいなと思う。

普通の社会人なら常識かもしれないけど、上場すると株主の情報が完全にオープンになるらしい。知人がシェアしてくれた『新規上場申請のための有価証券報告書』とかいうヤバいレポートには、社員の中で誰がどれだけ株(ストックオプション)を持っているか詳細に書かれていた。

「なるほど、アイツはあれだけ貰っているから今も会社にしがみついているのか...」

「いやいやあの先輩たったこれだけって、マジで都合よく使われてるなあ...」

覗き見してしまった現社員のランキング表に対し、ついつい下世話な勘ぐりを入れてしまうのは僕だけでは無いはず。今頃社内はどんな雰囲気になっているのだろうか。やっぱり絶妙なタイミングで辞めたなと思う。

卒業生含めて会社の関係者には言いにくいのでここに書くけど、どうやら僕はそこそこストックオプションを貰っていたらしい。

上場するまで、一般社員は会社全体で何株分が発行されているか知らないし、もちろん自分から公言しない限り他人の持ち株数もわからない。

なので創業メンバーと役員を除けばみんな五十歩百歩だろうと思っていたけど、例のランキング表によると、半数以上の社員は僕の10%しかストックオプションを持っていないようだ(僕のSOはどこにいったんだろう...)。

報告書には株主全員の名前が載っているわけではなく上位の人間だけで、もし僕が今も在籍していたら、年齢及び社歴的に先輩にあたる方々の上に自分の名前が載っていたことになる。自意識過剰ではあるけどそんな形で注目されるのも嫌だし、やっぱり絶妙なタイミングで辞めたなあと思った。