ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

人生を変えない愛車

先月、人生で一番、ぶっちぎりに高い買い物をした。車だ。

きっかけは、大排気量のアメ車に乗る同僚の存在だろう。彼が楽しそうに語る愛車自慢を聞くたび、自分の所有欲が刺激された。もしかしたら、ここ数年感じている人生の閉塞感に風穴を開けてくれるのではないか。そんな期待が、日々少しずつ膨らんでいった。

そこで思い出したのが、5年前に初めてバイクに乗り始めた頃のことだ。教習所を卒業して納車されてからは、本当に毎晩のように走り回っていた。仕事終わりに家を出て一晩中走り、早朝に帰宅して少し仮眠を取り、そのまま仕事へ向かったこともある。学生時代から原付には乗っていたが、それとはまるで違った。一気に世界が広がるような感覚が、確かにあった。

今回購入したのはいわゆるスポーツカータイプで、今や絶滅危惧種とも言える後輪駆動・マニュアルトランスミッションという、走ることだけに特化した車だ。ハイオクだし燃費は悪く、荷物もろくに積めない。独り身で、後部座席どころか助手席に乗せる相手すらいない自分のような人間のために造られた車に思えて、車種自体はほとんど即決だった。

そして、実際どうだったか。

楽しいといえば、確かに楽しい。久しぶりのMT車ということもあり、最初は坂道発進がキマるだけで快感だった。自分で選んだギアで、思い通りに加速していくときの高揚感も良い。遠出こそあまりしていないものの、今でも週に何度か、夜中に2時間ほど走っている。深夜のコンビニ、煙草、コーヒー、そして自分の愛車。ライダーになったあの頃のシチュエーションには、かなり近づけているはずだ。

それでも、どこか歯切れが悪い。自分自身を、少し買いかぶりすぎていたのかもしれない。正直、衣食住を忘れるほど熱狂できていない自分に、今は少し興醒めしている。もちろん何度も言うが楽しいとは思う。でも生活の中心になるほどではなく、「今日はちょっと時間があるから乗ろうかな」程度の存在に収まっている。はっきり言ってしまえば、拍子抜けするほど、何も変わらなかった。

車は良い趣味だと思う。同僚の姿を見てもそうだし、こうしたニッチな車が今も流通していること自体がそれを証明している。今感じている期待とのギャップは、おそらく自分自身のエネルギーの問題だ。若い頃は、ただ時間と体力があっただけ——よくある話だ。

今のところ、この車は僕の人生を変えてはいないし、これからも変わらないだろう。ただ、生活の合間に、ちょっとした余韻を与えてくれる存在ではある。

学生時代に乗っていた原付すら、いまだに手放せていない性分だ。この車とも、きっと長い付き合いになるのだろう。もうしばらくは、「慣らし運転」を続けてみようと思う。

若い頃のように夢中になれない自分を知った上で、それでもなお手元に残しておきたいものがある。そこにこの車が加わるのは、なかなか悪くない。

10年来の戦友

僕は何かに悩んだとき、その時の気持ちを吐露して心を落ち着かせるためにブログを書くので、基本的にネガティブな内容になりがちだ。だが今回は珍しく、最近あった嬉しい出来事について書いてみる。

出会ったのはもう10年近く前になる。一社目の会社の同僚たちとは今でも連絡を取り合っていて、その中に自分が採用に関わったITエンジニアがいる。「自分が採用した」と言っても過言じゃないのは、当時の社長の奔放さゆえでもあるが、それはともかく、相手の人生を左右してしまうという重圧に苦しみながら、最終的には彼を会社に迎い入れる決断をした。

当時の気持ちは過去のブログにも残っている。我ながら、いつも葛藤してるなあと思う。

転職活動中の面接官 - ニートワークエンジニア

自分が「辞めてしまってもいいかな」と思っている会社に、何も知らない後輩を雇い入れることなんて出来るはずがない。

その通りで、当時の会社はまったく健全ではなく、事業は停滞し、業務委託メンバーは一斉に離れ、唯一の先輩エンジニアも去り、僕を含め残ったメンバーも社長に愛想を尽かしている──なかなかに地獄のような状況だった。

当時の彼は、30歳を過ぎて一念発起し、全く別の職種からITエンジニアを目指して転職活動をしていた。僕は会社の状況をそれとなく伝えた上で、それを覚悟し、自身でキャリアを拓いていけるような人ならチャンスがある、といったようなことを話した。言葉だけなら「自己責任」を相手に押し付けているようにも見えるが、もちろん僕も、採用する側の人間としての責任を覚悟していた。

そんな決断を候補者に迫るのは、ある意味で圧迫面接だったかもしれないが、彼は動じることなく、こちらが拍子抜けするくらい落ち着いていた覚えがある。自分が面倒を見るべき「後輩」ではなく、この過酷な状況を共に乗り越える「戦友」になれるのではないか──僕は直感に従い、採用を決めた。

とは言え、キャリア1年程度の僕が教えられることは少ない。レビューも稚拙で、せいぜい勉強会に連れ出す程度。僕は僕で自分の成長に限界を感じていたし、このままでは彼と二人共倒れになってしまう不安もあり、結果的に、採用から1年足らずで僕は会社を去る選択をした。退職後も相談には乗っていたが、どこかで「見捨ててしまった」という負い目を抱え続けていた。

しばらくして、彼も転職を成功させた。以前一緒に参加した勉強会での縁らしく、多少は自分もきっかけを作れたのかもしれないが、それでもなお、先輩としての責任を果たせなかったという思いは消えなかった。その後はお互い新しい環境で忙しい日々が続き、それぞれの会社が同じ時期に上場するという運命的なイベントもありつつ、少しずつ疎遠になっていった。

そんな折、最近になって久々に連絡があり、聞けば次のキャリアに向けて転職活動中だという。面接官の経験を少しでも役立てられればと思いながら話を聞く中で、大きな発見があった。

それは彼が社内勉強会で発表した資料だった。オフィス利用におけるある課題にフォーカスし、ソフトウェアだけでなくマイコンやセンサーなどのハードウェアも活用しながら、自らPoCを形にした取り組みがまとめられていた。単なる技術調査ではなく、課題の発見から設計、実装までやり切るという、僕が大好きな「ものづくり」を体現していて、もし僕がその発表を聞いていたら、仮に彼との関係性が全く無かったとしても、胸が高鳴ったに違いない。

その姿勢も技術も、決して僕が教えたわけではない。間違いなく、彼自身が懸命にエンジニアリングと向き合いながら身につけたものだ。そのことが何より嬉しかった。

つまりは勝手に後輩扱いしていたのは僕の方で、長らく抱えてきた自責の念なんて、ほとんど独りよがりな妄想でしかなかったわけだ。そして巡り巡って、最初の会社で彼を採用したことは間違いじゃなかったと、心から確信できた。僕なんかが心配するまでもなく、彼のエンジニアとしての未来はこれからも続いていくのだろう。

以上が、10年も昔に共にエンジニアとしてのキャリアをスタートさせ、期間としてはたった1年しか一緒に仕事をしなかった「戦友」の話だ。それでも今も、こうして不思議な縁が続いている。広いようで意外と狭いこの業界、またどこかで交わることもあるかもしれない。そう思うと、未来が少しだけ楽しみになった。

悲しきロジカルモンスター

またしても久々の投稿になる。

前回は、もういっそ「楽しく酒を酌み交わせるかどうか」で仕事を選んでしまおうという、ある種の諦めについて書いた。結論から言うと、僕はいまその会社で、リードだかチーフだか──別に肩書があるわけでもないが──まあなんとなくそんな立ち位置で、なんだかんだ楽しくやっている。

とはいえ、会社の状態は決して良くはない。入社前から不安に思っていた通り、優秀すぎる社長によるロジカルハラスメントが横行している。最近入社した若手たちも徐々に疲弊しており、彼ら彼女らのガス抜きの場を居酒屋でつくってやることが、もっぱら僕の存在意義になりつつある。

そんな状況でも僕が入社を決めたのは、職種は違えど、自分と同じように非言語コミュニケーション(酒)に付き合ってくれる相棒がいたからだ。彼と二人で若手を支えていくのも悪くないと思っていたが、そんな彼も最近は社長に愛想を尽かし、退職をほのめかすようになった。先が思いやられる。

上司の愚痴大会は酒の肴にはなるが、正直、それだけを糧に仕事を続けるのは不毛だ。だから僕は、若手たちの声には耳を傾けつつも、変に助長させないよう一定の距離を保っている。徒党を組まれて担がれるなんて最悪だし、それは彼らにとっても時間の無駄だと思うからだ。

根本的な解決を試みるべきなのだが、はっきり言って社長が変わらない限りどうにもならない。聞けばこれまでも同じようなパターンで何人も辞めていったという。論理だけが正義ではないことに、なぜ気付かないのだろう?申し訳ないが、一周回って不憫に思えてくる。

そんなゴタゴタを間近で見ていて最近つくづく思う。やはり僕は「理性」を振りかざす人間とは合わないらしい。感情よりも理性のほうが絶対的に優れているかのように語られるが、僕にはどうにも、感情を無視するためのただの言い訳にしか見えない。

例えばプログラマ同士のコードレビューでは、「人格を否定しない」が共通認識になっている。しかしそれは単に「言葉を選べ」というマナーの話ではなく、相手の感情を前提に考えるべきだという教えだと思う。相手は人間であり、そのコードには彼なりに考え抜いた時間や思いがある。それを頭ごなしに否定しておいて、「理性的で合理的な指摘だから問題ない」というのは、とてもじゃないが理性的なコミュニケーションとは思えない。

つまり、理性とは感情を抑えつける力ではなく、感情を前提に扱う力なのではないか。社長が振りかざしているのは、そうした意味での理性ではないし、論理の正しさだけを競うやり方では人はついてこない。

……と理屈を並べてみたものの、結局こうして理性的にまとめている自分も、十分説教臭くてウザいな。

「やりたいことが無い」自分と向き合う10年

何かに憧れてベンチャー企業でがむしゃらに働き、自分だけじゃなく組織としての成長や失敗をたくさん見てきた。独立していくつもの仕事を掛け持ちし、最終的には銀行からお金を借りて事業を立ち上げたりもした。その結果わかったのは、僕には「成し遂げたいこと」や「実現したい世界」なんて無いってことだった。

「大した成功もしてないのに、何をわかった気になってるんだ」と自分でも思う。何か他に夢中になれるものがあるはず、って希望は捨てきれない。それでも、東京で働き始めて10年、自分なりに色々試してみた結果としての総括はしておいてもいいだろうし、少なくとも今の僕は、言い訳できないほどには迷走しきったと思う。

今回の転職活動でもたくさんの企業を見てきたけど、どこもかしこも魅力的な会社ばかりだった。もちろん、年収が高騰しがちなITエンジニアを雇おうとする以上、現状維持じゃなく、何かを目指す熱量があるのは当然だ。そういうバイアスを差し引いても、「ここで働きたい」と思える会社ばかりに見えた。

そう感じるのは、きっと自分の中に強いビジョンやミッションが無いからなんだろう。転職先について悩めば悩むほど、自分のこだわりの無さに向き合わざるを得ない。いい加減、ここらでひとまず決着をつけておきたい。

子どもの頃は宇宙に憧れてたけど、新聞の切り抜きを熱心に集めるほどの情熱は続かなかった。農家でのバイトやボランティアとか、それまでの自分には突飛なことをやってみたりもしたけど、それも長続きしなかった。

社会に出て、ITだけじゃどうにもならない物流のリアルに触れ、一時的に夢中になれたことは良かったけど、少し離れてしまえば、それもまた過去のものになった。

これまで何十社ものカジュアル面談を通じて様々な業界を見聞きしてきたのに、更に一歩踏み込もうって気持ちにはなれず、おそらく次の転職先でも、「これだ!」ってものを見つけることはないんだろう。

要するに、自分の中には「やりたいこと」なんてものが無い。でも、逆に見えてきた幼稚な願望がある。それは、「楽しく酒を飲める仲間と働きたい」ってことだ。

決して人付き合いが得意じゃないし、むしろ一人でいる方が好きなはずなのに、それでもこれまでの経験を振り返ると、誰かと一緒に何かをやることが楽しいと感じることが多かった。恥ずかしながら、それが自分の中で最後に残った「やりたいこと」なのかもしれない。

「社会貢献」なんて言葉を口にしてた頃が痛々しくも懐かしい。世の中には複雑な課題がたくさんあるけど、社会そのものが複雑だし競合しまくっている以上、「社会に貢献しない仕事」なんてものは存在しないことも、もう理解してる。

だからこそ、「何をするか」より「誰と働くか」に興味が移っていったのかもしれない。仕事の内容や社会的意義がどうでもいいわけではないけど、それが選択の決め手にはならないってことは、もう認めるべきなんだろう。

それにしても、これが10年働いた末の結論かと思うとなんだか笑えてくる。崇高なビジョンを掲げることもなく、革新的なアイデアに飛びつくこともなく、結局は「気の合う仲間と楽しく働きたい」なんて、ずいぶんシンプルなところに落ち着いたものだ。

どれだけ理屈をこねたところで、最後に決めるのは感情なんだろう。夢や野望がないからこそ、せめて楽しく過ごせる環境を選びたい。そんな怠けた結論も、10年を経てようやく堂々と言えるようになったんだから、悪くないと思う。

なんだかんだ言って、次の職場でもまた「社会貢献」なんて言葉を耳にしながら、それを適度に笑い飛ばして、仲間と楽しく酒を飲んでるんだろう。結局、自分にはそれくらいがちょうどいいのかもしれない。

優秀な人間と働けるだろうか

いい加減、次の仕事を決めないとなあと思っている年の瀬。

思い返すと2024年はなかなかに不安定な一年だった。起業したものの何度も方針転換を繰り返し、共同創業の相方との折り合いも悪くなる一方で精神的にかなり疲弊した。そして最終的にはすべて譲渡する形で僕だけ離脱してしまった。その後は10年来の知人の会社に誘われるも、僕がギリギリで辞退したことで彼を怒らせてしまい、絶交を言い渡されたりもした。

現在は前職の友人がいる芸能関係のA社、それと求人サイト経由で知り合った美容系のB社で、それぞれ業務委託のシステムエンジニアとして日銭を稼いでいる。ありがたいことにどちらからも正社員としてのオファーを頂けそうなのだが、なんとなくどちらか一社に絞って働く気になれず、とはいえ別の仕事を探す気にもなれず、そういう中途半端な状態のまま惰性で半年も過ごしてしまった。

特にベンチャー感の強いB社は、もともと社員登用を前提とした期間限定の業務委託契約ということもあって、年明けには返事をしなければならない。社員数名ということもあって、僕の返事次第では採用計画も大きく変わるのだろう。日に日に催促が増えていて、ちょっと焦っている。

B社を迷う理由をちゃんと考えてみる。

組織の規模感、メンバーとの関係性、自分の経験との相性、どれを取っても僕のなんとなくの希望条件とマッチしており、一般的に見て良い会社だと思う。年収も全然悪くない。一方で「ここで働きたい」という強い想いが湧いてこない。なぜなのか。

一つ大きいのは、事業内容が美容という僕の興味関心からかなり遠いジャンルであること。一緒に働く中で少しは興味も出てくるかと思ったが、4ヶ月経っても未だに変わっていない。自分なりに業界について勉強したりもしたが、やっぱり僕の普段の生活との関わりが無さ過ぎて、どこまで行っても夢中にはなれない気がしている。

あとは最近、メンバーに対して少し懸念を感じる出来事があった。

メンタルの問題で休職を繰り返す社員がおり、来月末に正式にクビになる人がいる。たしかにちょっと常識や周りとのノリがズレている印象はあったが、本人と少し話してみて、彼女があそこまで自信を無くす理由が僕には理解できてしまった。他のメンバーが優秀過ぎるのだ。

揃いも揃ってみんな高学歴で、僕も学歴なんて関係無いと信じたいものの、やっぱり論理とか言語化となると明確に違う。その上、コンピューター科学もやらずにエンジニアになった彼女には、とてもついていけない、大きな壁に感じてしまったんだと思う(もちろんそれをバネに這い上がる人もいるわけで、彼女自身の問題も大きいとは思う)。

何でもオープンに、論理的に議論できる風土は、組織としては効率的で理想的かもしれない。ただ、それに馴染めなかったり、負い目を感じる人間はたくさんいるわけで、会社としてそのフォローが足りなかったんじゃないか。そういう疑念を僕は感じてしまった。

これがいわゆる心理的安全性というやつなんだろう。優秀なメンバーからの適度なプレッシャーは大切だと思いつつ、逃げ癖があったり自己肯定感が低かったりする僕も、明日は我が身かもしれない。

みんな優秀で人当たりも良い。普通に考えれば僕の今後のキャリアにとっても悪くない選択肢であるはず。なのになぜだか、ここに自分が加わるイメージを持てないでいる。この直感を言語化できない僕も、間違いなく『優秀』じゃない側の人間なんだろう。