ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

もうすぐ3年生になるので振り返る

ニート気質を気取っていた僕が生まれて初めて実家を出て、見ず知らずの土地に移り住み、わけもわからずWebエンジニアとして働き始めてから来月で2年になる。これまで実に色々なことがあった…と書き出したいところだけど、思い返せば大した事件も無く、普通に会社員をやって普通に生きていただけだ。

ただ来月から社会人三年生になるのと、先月ついに転職して新しい生活が始まったところなので、節目というほどでもないけどちょっと振り返ってみようかと思う。

最初に務めた会社に関してはブログでも何度か書いている。10名弱の会社で、かといってベンチャー的なアグレッシブさも無く、良くも悪くものんびりと過ごせた。裁量があるのかただの放任なのかわからないけど、好きな技術を好きに学んで好きに使うことができた点はかなり良かった。

人の出入りが激しく、入社1年で社長以外の上司が全員辞めてしまいシステム開発担当は僕一人になったが、あの時システム情報を整理したり開発体制を整えたりしたことは良い経験になった。ばっくれた先輩に対して弁護士たてて情報開示請求するとかはもうやりたくないけど。

そのあとは新人エンジニアを指導しつつ、全権限を持って実質的にシステムを一人で担当していたんだけど、それによって今の自分が出来ることと出来ないことが明確になったし、その上で、なんとなくではなく自分にはこれとこれが足りないから転職すべきだという確信が持てた。それが半年くらい前で、その辺りから本格的に転職活動をスタートさせた。

そして先月、初めての転職を果たした。プルリク出してレビューをもらって…という「普通の開発」ができることが最低の希望条件ではあったが、最終的な決め手はその特殊な業態だろうか。社員は70人程度いるが、ある意味前職よりもベンチャー感があり、もしかしたら来年には解散してるかもしれない。そんなラディカル感とビジネスとしての面白さのバランスが、飽きっぽい自分には合っている気がした。

と、あたかも自分で会社を選んだみたいな言い方をしてみたが、決して華麗に転職を成功させたわけじゃない。結局「将来どうなりたいか」という面接時の定番の質問には一度たりともまとも答えられたことは無かったし、カジュアル面談も含めてかなりの数 (40社以上) を受けて、たまたま拾ってもらえるところが見つかったという感じに近い。

思い返してみると、全部が繋がって上手くいっているようにもみえるし、そう思いたいだけなのかもしれない。事実としては2年が経ったということ以外は何も無いけど、その瞬間瞬間を全力で生きてることには変わらないんだしまあいいだろう。

さて、次の2年が経つと僕は30歳になる。さすがに少しは焦りや不安を感じるようになるんだろうか。まあそれならそれで新しい展開があるはずだし、難しいことは先輩(=未来の自分)に任せて、今日の僕は今日を終わらせることだけ考えておこう。

卒業ラッシュ

僕が入社して以来メンバーの大半が入れ替わってしまったが、最近、僕より後に入社した人が初めて辞めた。採用こそ関わらなかったものの、自分が仕事を教え、お互いに悩みも言い合いながら1年過ごしてきた関係ということもあって、辞めると聞いた時は納得は出来ていてもなかなか辛かった。

彼は人と向き合うことに非常に長けている人で、逆にそれがアダとなって最初の頃は軽いいざこざも起きていたが、最終的には社長以外のメンバーの関係はとても良いものとなった。僕と同じように人生に対してバカ真面目に考える人間だったというのも理由としてあるが、僕の生涯でこんなにも他人を気にしたり気にされるような経験はこれまで無かったので驚いている。友達とはこういうものなのかという感覚がこの歳になって初めて自分の中に芽生えた気がする。

そんな密度の濃い人間関係を教えてくれた彼が辞めた矢先、僕の唯一の同期の退職が決定した。

自分本位で融通の効かない子ではあるが、僕にとってはこの会社で一番長く時間を共にしてきたメンバーだ。お互い初めての会社で右も左もわからない状態であるにも関わらず、先輩がバタバタと辞めてしまってさあどうしようという局面を一緒に考えて乗り切り、一方で会社を良くするためには社長に変わってもらわないといけないと色々奔走するも、結局何も変えられない無力感を一緒に味わってきた仲だ。

僕らが期待した会社には出来なかったが、不思議と後悔は無いし、多分彼女もそう考えている。「やれることはやった」とまでは言えないけど、お互い次のステップに進むための大事な踏み台としての経験は積めたと確信しているからだろう。これからもそれぞれの階段を見せつけ合う仲でいられたら素敵だ。


これまで学校を卒業したり部活を引退したり、何度も別れは経験してきたはずだが、それとは何か違う。やっぱり密度だろうか。週40時間以上同じ空間で顔を合わせて、仕事という緊張感を共有していると、趣味でやっていた部活動とはレベルが違う共同体意識みたいなものが生まれていたように感じる。そしてそんな場所が心地よいと思っている自分に気づき、少し笑えてくる。

以前は「緩い人間関係の中で、フワッと気ままに生きていければいい」なんて考えていたのに、今は「仕事の中でお互いぶつかりながらそれでも尊重し合う関係」に憧れたりする、熱い人間に成り下がってしまった。もういい加減『ニート』とは名乗れそうも無いな。

そろそろ何かをやりきってみないと

転職活動歴1年

お世話になった会社の先輩が次々と辞めていったのは去年の今頃だっただろうか。僕には明確な目標があったわけではないが、「1年後は自分もここにいないだろうな」と漠然と考えつつ、転職サイトに登録したり履歴書を用意したり面談に行ったりと、転職活動的なことを始めたのも同じタイミングだったと思う。

本格的な「面接」こそ少ないものの、カジュアルな「面談」ならこの1年間で40社ほど受けてきた。幸いエンジニア業界は未だに売り手市場ということもあって、初回のカジュアル面談だけなら簡単にアポを取れる。しかも勢いのある会社ほどエンジニア採用に力を入れてるようで、そこそこ有名なベンチャー企業のCTOと直接話す機会もたくさんあった。

ただし内定をもらえるかどうかとは全く別の話だ。スキル面はともかく「自分は何を目指したいのか」という部分がフワフワした状態では箸にも棒にもかからないといった感じで、順調に進んだ選考はほとんど無い。

「何もやりきってない」

先日とある上場企業の最終面接で、「君はこれまで何1つやりきっていないよね」と言われた。結果はどうであれ、自分の中で1つ1つやりきっていけば自ずと進みたい道は見えてくるはずだ、と。

尤もな指摘だし、そうやっていつも逃げてきたズルさに本当は自分でも気付いていたと思う。でもこれだけ真正面からダイレクトに言われると僕としては珍しく悔しさを感じたりもしていて、なかなか良い機会だった (案の定、その会社は不採用)。

そこで今は何を「やりきる」かを考えている。

元々転職活動を始めたのは環境を変えたいからだった。エンジニアとして技術面の相談ができる先輩や同僚が1人もいない状況がずっと続いていて、このままでは他の場所で食っていけないんじゃないかという不安が根本の動機だ。

自分が出ていくという選択肢を一旦置いておくとすると、まずは自分よりも経験があって技術面で優れているエンジニアを入れないといけない。デキる人は会社の将来性とか理念を重視するから、人を納得させられる事業計画が無いといけない。今の社長では全く頼りにならないので、他に信頼できる事業統括役も必要だ。何なら社長自体を交代させる動き方もあるかもしれない。

これまでたくさんの会社の問題点を目にしつつも「なかなか難しいな」で済ませていたけど、現状維持する程の意味のある会社でも無いし、もっと自由にやってみて良い気がしてきた。

こうやって奔走した結果、解雇されたり会社が無くなったら、流石に「やりきった」と言えるのかもしれない。

時計を捨てる

無駄な時間?

今更あえて言うまでもなく乗り換え検索アプリは非常に便利なもので、効率の良い乗り換えのためにはどの車両に乗れば良いか示してくれるし、遅延が発生すれば再検索をかけて、何時に目的地に到着できるかという未来も教えてくれる。無駄な待ち時間を減らし、時間を有効に活用するための有用なツールだ。

と思っていたんだけれど、最近それが腑に落ちない。そもそも『無駄な時間』について考えてみると、生きているだけで全部余暇のようなものだという感覚があるし、電車待ちの時間を多少減らしたところで焼け石に水…とはちょっと違うけど、無駄かどうかの線引きなんてそう簡単に出来そうにないと思う。

極端な話、『無駄な時間』だと決めつけるから時間が無駄になっているのでは?と考えてしまうのだけど、この辺りは「趣味が多いから時間はいくらあっても足りない!」みたいな人には全く共感してもらえないんだろう (僕は時間が無いなら無いで諦められる程度の趣味しかもってないので「時間はいくら消費しても余る」) 。

ビジネス的には「無駄な作業時間を減らして業務を効率化」することは絶対的に正義だし、それによって余った時間やお金を使って別の価値を生み出すことで人類は進歩してきたんだろうけど、僕個人のレベルとしては次に踏み出したい一歩がもう何年も無い状態なので、この期に及んで何かを効率化する必要も無さそうだ。

時間縛り

会社が何時に始まるから朝は何時に起きて何時に家を出て何時の電車に乗って…みたいな逆算をして効率的なスケジュールを立てることを一般的には求められる。それはもう小学生の頃から教え込まれて、日本人はとくにそうなんだろうけど、この先ずっとそれが真理であり続ける。でも求められたものに応えなきゃいけないというのは何となく窮屈だし、もっとだらしなく生きたいと思う。

なのでこれからは細かい時間を意識しないように暮らしてみることにした。

とりあえず部屋で目立つ所にある掛け時計は片付ける。乗り換え検索アプリは経路と大体の所要時間を調べるためだけに使い、外出する時間を分単位で決めるようなことも辞める。最低でも1時間くらいは余裕をもちたい。

それによって、例えば会社に早く来過ぎたり寝る時間が足りなくなったりして、一般的に言う『無駄な時間』が大量に生まれるわけだけど、僕の場合そのくらいで丁度よいか、むしろ新しい自由を感じられるかもしれない。

無駄な時間が50%を超えたらそれはもはや無駄というより受け入れるべき定常状態だと感じるのかもしれないし、感じないのかもしれない。とりあえず常々感じている言葉にならない閉塞感的な何かに対して何らかの転換があればいいなとは思う。

僕に選挙権はもったいない

この間選挙に行ってきた。メディアではほとんど報道されないとある自治体の市議選だったけど、一応成人の務めということで、候補者数十名について1人ずつ調べ、自治体の人口動態や産業等とマニフェストを照らし合わせたり、それなりに真面目に有権者をやっていた。

投票所に着くと候補者のポスターが貼られている看板の周りに人だかりが出来ていた。何か事件か?と野次馬気取りで横を通り過ぎてみたが、単に投票しに来た中年の方々が誰に投票するか悩んでいただけだった。まあ人それぞれだけど、最終的にポスターの顔写真で誰に投票するか決める人もいれば、マンションのゴミ箱に選挙案内の封筒を捨てている人もいる。そして結局全体の投票率は40%以下ということで、民意って何だろうと思う。

そんな偉そうなことを考えていたけど、じゃあ自分はどうかと問うてみれば全然大したことはしていないし、そもそも市議会に何かを期待しているわけじゃないという点では選挙に行っていない連中とあんまり変わらない気がする。この圧倒的な他人事感はどうしようもないのだろうか。

まずここが「自分の街」という感覚が無い。全く知らないこの土地で一人暮らしを始めて1年半が経つけど、一日の大半を過ごしているのはオフィスがある東京都港区だし、仮に市が財政破綻して公共サービスはカットされ住民税は1.5倍に…なんてことになれば、多分何も躊躇せずに近隣に引っ越すと思う。

なんだか市民として登録されているとはいえ、こんな薄情なヤツに選挙権なんていらないような気がしてくる。この街で会社を経営している人や、マイホームを構えて家族を育んでいる住民の意見に対して重み付けされるべきなんじゃないかと。

昔から一人一票の原則が引っかかっていた。「投票したらデパートのクーポンがもらえる」みたいな変なキャンペーンを実施してまで無理やり投票率を上げるのは馬鹿らしいと思っていたし、そういう意味では僕が選挙に行くのは無駄足どころか、この街で本気で生きようとしている人の邪魔になっているのかもしれない。

なんだか勝手にやるせなくなってるけど、とりあえず僕が投票した新人候補は無事に初当選を果たしたようなので、twitterでもフォローしてしばらく見守ってみよう。多分、選挙なんてものはそんな感じでゆるく楽しんだもん勝ちなんだろう。