昼休みに公園のベンチでボーっと考え事をすることが日課になっている。どっかのお爺さんの様だけど、思い返せば色々あったなあと。そして今この場所に独りで佇んでいる状況自体が、たまらなく滑稽で面白い。
一年前と言えば、ちょうど長野での農家バイトを終え、野宿しながら原付バイクで東日本を放浪していた頃だろうか。
ニートだったあの頃は一年後どうなってるかなんてあまり考えられなかったし、ましてや何のツテも無いのに関西の田舎から上京して来て、東京のど真ん中でエンジニアをやっている自分なんて全く想像もつかなかっただろう。
そんなことを考えていて一つ気付いたのは、想像もつかなかった、つまり想定外の出来事に対して僕は面白いと感じてしまうということだ。
不安定依存症?
今まで何となく色々な選択を繰り返してきたが、選択の結果をある程度想定できる方向には進んでいない場合が多いように思う。
大学受験では補欠でギリギリ合格できたものの、当初志望していたのとは全く違う分野を何となく選んだし、それも飽きて何となく休学したりもした。
「思慮が浅くて直感的」と言えばそれまでなんだけど、やっぱり何が起こるかわからない、言い換えれば可能性で溢れている方が面白い。
で、どうせなら今後はその方針を貫いてしまおうかと思う。
えんとろぴー
多少不安だったり嫌な選択だったとしても、何も起こらない方向へは絶対に進まない。これは逃げる・逃げないの話に似ているが、あくまで目的は混沌。立ち向かうとかそんな高尚なものじゃない。
理系的に表現するなら高エントロピーな選択肢と言えるだろうか。
エントロピー 原子的排列および運動状態の混沌(こんとん)性・不規則性の程度を表す量。
前回の記事で「将来どうなりたいかしっかり考えなくては」と書いたものの、やっぱり今のところ何も見えていない。なのでしばらくは自分の目の前を混沌(可能性)でいっぱいにすることを目指してみようかというわけだ。
それで何か掴めるかもしれないし、余計こんがらがってわけがわからなくなるかもしれないがそれはそれで面白い。とりあえず常に何が起きるかわからない不安定な位置に立っていたい。
結構真面目に考えたつもりなんだけど、これってふざけてるのかね。