ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

粛清ラッシュ

人の出入りが異様に激しい。新人が一人入社したものの、3月いっぱいで僕が割と好きだった先輩が去り、更に僕がこの会社に入社して以来最もお世話になっている先輩も今月でいなくなるようだ。

それぞれ自分の次の目標に向かう為のポジティブな転職ならまだ良いんだけど、贔屓目に見ても一方的な解雇としか思えない。第一かなり急だったし、辞める側と辞めさせる側(社長)とで主張にかなりのギャップがあるようで、正直僕は何を信じればいいのかわからなくなっている。

会社が求めるパフォーマンスを出していないと言われたら返す言葉も無いだろう。経営者としてはそういう冷徹な判断も必要なんだとは思う。

でも仮に、パフォーマンスが出ていない原因が経営者のビジネスプラン自体にあったとしたら、この一連の粛清は全社員が入れ替わるまで続くかもしれない。もちろん僕も例外じゃないはず。

この場合、クビを切られることを恐れてひたすら上の言いなりになったり萎縮したりするのが一番精神衛生上良くない。切られる前にいつでも自分から逃げられるような身軽さを常に意識していたい。

普段、初対面の人に対して「サラリーマンです」と自己紹介しているからか、なんとなく自分が「普通の」サラリーマンであると思い込み、その結果危機感が薄れていたような気がする。

自分が主体的にやっていることや、率先してやりたいことが無い以上、ただ会社に常駐してるというだけの1人分のリソースに過ぎないし、そういう意味では、1年前ニートだった頃と比べて大した変化は無いだろう。下手に給料を貰っているせいで仕事をしている気になっていたようだ。

まあ大きい会社だと給料を貰うこと自体が仕事だったりするんだろうか。。

生まれて初めて合コンとかいうヤツに行ったけど

あまり乗り気では無かったけど、何事も社会勉強だと思って勇気を出して参加してみた。

結論から言うと今後積極的に参加したいとは思えなかったけど、僕と同じような引き篭もりがちのニート等に向けてレビューを書いてみたいと思う。

イケメンx2 + 残念枠x3 という黄金パターン

噂には聞いていたけど、本当わかりやすいぐらいの顔面格差社会だった。幹事二人がいわゆるイケメン枠で、他は人数合わせの為に呼ばれた残念枠といった感じ。

人にはそれぞれ役割があって支え合って生きてるんだと納得してしまう人類愛主義な僕は全然平気だったけど、変にプライドの高いブサメンにはなかなか厳しい環境かもしれない。諦めこそ希望なのだと再認識してしまった。

あと書き忘れたけど、勿論僕は残念枠の方だ。

自己紹介タイムは予想外に普通

思っていたより普通だった。名前、出身、どこでどういう仕事をしてる、といった本当に普通の自己紹介だった。僕は関西出身ということで少し特殊性があったからか、自然と方言とかたこ焼きとかの話題が広がって内心ホッとした(てっきり一発芸とか求められるのかとヒヤヒヤしていた)。

人の自己紹介を聞いていて、自分のプロフィールは出身地以外でも結構変わっていることに気付いた。今の会社の同僚は妙な経歴の人が多いのであまり気にしなかったけれど、元ニートとか社員数人の会社で働いてるとかいう情報は案外珍しいのかもしれない。

表面なぞって時間を潰すだけ

その後は終始仕事とか趣味とか、表面的な話をテキトーにして終わった。

初対面での飲み会だとお互いに出方を伺っているのか、あまりコアな話ができないのは仕方ないのだけど、僕としては「一生働かずに読書してるだけの人生がいい」みたいな本音を話してみたかった。皆色んな意味でキラキラしていて、何となくそういった話をするタイミングを逸してしまったのは少し残念だった。

中には女の子の話を無理やり広げようとして空回りしてる男もいたりして、女の子はそういう必死さを僕以上に感じてるんだろうと思うと少し愉快だった。まあ話題を広げられない僕が笑う資格はないのだけれど。

総括

今回は何となく1軒目で解散となったが、盛り上がった場合は2軒目に行くというパターンもあるらしい。そういう意味では今回の合コンは失敗としてカウントされるのかもしれない。

その後、今日の参加者でLineのグループを作ったりした。これが最近の合コンの作法だそうだ。イケメン君と言えども、残念枠メンバーも含めて全員をグループに誘ってくれる義理人情があるのかと思ったが、多分違う。直接連絡先を聞くよりグループ招待の方が女の子の抵抗が少ないから、という狙いが本当のところなんだろう。


正直、仕事で大手製薬メーカーに乗り込んでプレゼンした時より緊張したんだけど、まあ良い経験になったと思う。とりあえず、同じように5,000円遣うなら自宅で一人スイーツバイキングをしたいと思ってしまった僕は本当どうしようもない。

マルチ商法に誘われてるっぽい

彼らと会ったのは先週の夜だった。

その日僕は会社での飲み会終了後、何となく時間を持て余していたので新宿で一人、路上ライブを観ていた。

その時、僕より少し年上な感じの二人組サラリーマンが「このバンドかっこいいっすね」的なことを話しかけてきたんだけど、僕も結構酔っ払っていたのか、昔バンドやってた話とかを微妙に熱く語ってしまい、最終的に連絡先を交換するほどに仲良くなってその日は帰った。

次の朝、早速彼らのうちの一人からメッセージが来ていて「今日の夜空いてる?」とのこと。即OKを返し、その夜ご飯に行くこととなった。

この時点では僕は何の違和感も感じていなかったと思う。「東京では見ず知らずの他人といきなり飲みにいったりするのかあ」とカルチャーショックを楽しんでいただけだった。

ラーメンだけ食って解散

そして夜になり彼の提案でラーメンを食べに行った。ん?1軒目にラーメンはちょっとアブノーマルだなと一瞬思ったけれど、まあたまにはいいかと納得して完食した (ラーメン自体は美味しかったのでまた行きたい)。

ラーメンの会計は別々だった。まあ食券制だと奢るタイミングがちょっと難しいし仕方ない。2軒目に期待した。

と思ったら2軒目は無かった。普通に駅に向かいそこで解散。まさか休日の夜に呼び出されて酒を飲まずに帰ることになるとは思わなかったので、まずそこで最初の違和感を感じた。

別に奢ってもらう為に来たわけじゃないんだけど、学生時代から奢り奢られの文化だけは身についているからか、やっぱり先輩と夜にメシを食べて個別に会計をするのは妙だと感じてしまう。ちなみに彼は僕より5つ年上だ。

ダメ押しのガスト

そんなこんなで2回目のお誘いが来たが、今回は金曜日の夜なので流石に飲むだろうと思っていた(フラグ)。

そして彼と合流して向かった先はなんとファミレス。これが2回目の違和感。

更に何を注文するかと思えば、彼が選んだのはポテトのみ(クーポン利用)。「ガストで酒飲むの初めてだな...」なんて考えていた僕は頭を切り替え、渋々便乗して同じポテトを注文した。

なんだこれ。ファミレスでポテトだけ食って帰るなんて高校生の時ですらやってなかったと思う(せめてドリンクバーを頼む)。

流石に可笑しいと思ったけれど、彼との会話の中で「将来の夢」とか「自由を作る」とか「交流セミナー」といったキーワードが現れ始めたことでピンときてしまった。そして「あ、マルチだ」と思うと逆に面白くなってきた。

その後は期待していないというか期待通りというか、ポテトの会計を割り勘してそのまま解散となった。

会社の先輩の誘いを断ってまで参加したというのに、何が悲しくて僕は金曜の夜にガストでポテトだけ食って帰宅しているんだろうか。

話をしている時は、社会勉強として試しにマルチに釣られてみようとさえ思っていたんだけど、結局今回みたいにやるせなさだけが残る気がしてならないので、やっぱり無駄な労力は使わないでおこうと思う。

ここまで書いておいて、完全に僕の早とちりで、彼が単に酒の飲めないドケチな善人だったらごめんなさい。

ニート祭りに行って感じた違和感

先日、ニート祭りとかいう変なイベントに行ってきた。

第10回ニート祭り - ニュースタート事務局

到着が少し遅れたので、後半のトークライブのみの参加となった。

以下パネラーの方々

トークテーマは「ニート・ひきこもり的"感性"を活かせ」。

これはまさに僕が1年半前、ニート同士で何か成功モデルを作ろうと思い立った時の発想であり、今も常々感じているテーマだ。何か新しいヒントになるんじゃないかという期待を持って参加してみたわけだ。

本当に無理しなくてもいい?

仲さんが言っていた、「学校では『切り替えろ』とよく言われるけど、人間そんなに上手くできてない。エンジンのように段々やる気になったり時には冷えたりしても良いはず」という言葉自体は納得できる。ブラック企業で潰されそうになってる人へのよくあるメッセージだ。

その後の流れで「社会全体が敵だ」みたいな雰囲気を雨宮さんが作っていたけど、それが僕にはよくわからないところだ。たまたま恵まれすぎているだけなのかもしれないけど、僕の周りには、働いてないことを全否定する人はいないし、自身も若い頃5年ぐらいニートだったという人が結構いたりする。

そういう意味では、変に外の世界に対してレッテルを貼るよりも、少しでも多くの世界を知ることのほうが建設的だろう。phaさんがよく言うように、「逃げてもいい」んだけど、攻めては逃げるを何度も繰り返すことでしか、自分の心地よい場所なんて見つからないんだと僕は割り切っている。

リア充氏ね」が痛い

雨宮さんはfacebookにおける「自分価値あります」自慢がウザい、という話を熱心に語っていて、それに対して大きくうなずいている参加者もいて多分盛り上がってたんだけど、なんとなく僕は上の空だった。

まあ確かにそういう人はいるし、無理してそう振る舞って疲れてる人も実際いるんだろうけど、だからといって僕はどうも思わないなあ、と。ましてや「リア充」に対して「こちら」という表現を使って壁を作る意味は全くわからない。自分が生きる領域をわざわざ自分で狭くする必要がどこにあるんだろうか。

新しい人と会ったり勉強したりすると、世界が広がる分、今までわかってるつもりでいた事が全て曖昧になってくる。これは最近僕自身に対して思ったことなんだけど、「何かと定義付けする人は大体間違っている」が当てはまる人は割と多いのかもしれない。

もしかしたら「リア充」と思われていた人が本当は重大な闇を抱えているかもしれないし、自分だって逆に誰かから疎まれているのかもしれない。やることが無くて、たまにPCのデスクトップを眺めるだけの時間を過ごしている僕からすれば、こういうイベントに参加したりアニメやゲームに夢中になってるニートは十分、充実しているように見える。

昭和人間は発達障害

面白い話もあった。

二神さんの早稲田大の同期は大手企業を定年退職して、今は月50万円も年金を受け取っているようだが、使い方がわからず空虚な日々を過ごしているそうだ。そこで二神さんが一人100万ずつ用意させて競馬に連れていったところ、全額トバしたのにも関わらず皆清々しく笑っていた、というエピソードを語っていた。

彼が言っていた「昭和の人間は皆エコノミックアニマル。現代の人からすれば発達障害のようなもの」という言葉は随所から批判が来そうだけど、彼自身が御年70を超える、まさに「昭和の人」だから、上記のエピソードと相まって余計に愉快だ。

phaさんはカリスマというか仏

phaさんは常にパネラーの言葉に対して的確に返答していて、やっぱり頭の良い人なんだと実感したけれど、彼の本当の凄さは、話が通じてないような人もちゃんと受け入れる、その懐の深さというか寛大さなんだと思う。みんなが彼を好きになる理由がよくわかった。

まとめ

上にも書いたけど、社会が厳しいとか体育会系人間が悪いとか、ネガティブに考え過ぎだと思う。好きなものがあるならそれを突き通せば良いのに、下手にリア充への憧れがあるなら気になってしまうのだろうか。

人を気にし過ぎるのは優しさの一種だとは思うけれど、phaさんが言うように「相手も自分と同じダメなヤツなんだ」という意識を持って、もっとみんな軽く生きればいいのにと思う。誰よりも冷めててテキトーに生きてる僕が言うとちょっと胡散臭いかもしれないが。

次はもっと自分から声をかける努力をしてみよう。 次回開催時まで東京で生き残れているかわからないけど…。

ホームレス向けの炊き出しで晩飯食ってきた

といっても、ホームレスの方々と一緒に並んで配給してもらったわけじゃなくて、あくまでボランティアとして参加したことでおこぼれを頂戴したという話。たまにはこういう釣り的なタイトルで遊んでみたくもなる。

まあそれはどうでもいいとして、とりあえず良い勉強になった。

自己満足な参加理由

まず、困っている人を助けたいとかそういう慈愛から来る理由では全く無くて、単に彼らという存在に興味を持っていたからだ。

「異文化に触れたい」という理由で東南アジアを旅行する学生と基本的には同じ衝動で、自分と同じ世界 (日本, 東京) にいて何故こんなに違う生活をしている人々がいるのかという疑問をちゃんと考えてみたくなっただけである。

ある程度の知識は本で学んできたつもりだが、それを知識ではなく自分の知恵とするために今回活動に参加、というか首を突っ込んでみたわけだ。

あとは僕自身の状況として、来月いきなり無職になることも十分想定できるような不安定な所で働いている為、決して他人事じゃないと常々思っていたというのも理由としてある。

参加者

代表や幹部らしき人は30代や40代だと思われるが、参加者の中には高校生もいれば元ホームレスの70代のおじさんもいたりして年齢層はかなり広い。

初参加は10名近くいて現役の大学生が多かったのだが、これは最近の傾向だそうで、採用面接でのネタ作りとして来ている輩がいるらしい。そういう学生はまずボランティアを継続的にやっていくつもりは無いので、グループで押しかけられると運営側はやや扱いに困るようだ。

残飯が多い

僕はゴミの分別を伝えるためのサンドイッチマン的な役割だったのだが、プラスチックの皿やスプーンを捨てる際、人によって表情や言動が結構違うということに気付いた。

にこやかに「ありがとう」と言ってくれる人、僕のような見ず知らずの人間といきなり世間話を始めようとする人、何度も申し訳無さそうに頭を下げる人、こちらに視線を向けずに走り去っていく人など様々だ。

また、おかわりをしたが食べきれず残す者もいれば、野菜だけ丁寧に取り除いて捨てている者もいて正直唖然とした。

それでも殆どの人は完食しているし、中には2杯目をビニール袋にザーッと流しこんで明日の食料として確保している人もいたりして、なかなか切実でリアルな現場も目にすることが出来た。

ぼっちホームレスが多い?

意外だったのは、殆どのホームレスの方々が一人で並び、一人で静かに食べ、一人で帰っていくということだ。

公園や河原などで定住しているホームレス達は、そこで形成されるある種のコミュニティの一員として生きていると何かの本で読んだことがある。ここでは毎週同じ炊き出しで顔を合わせているのだから、皆ちょっとした「仲間」の一人や二人いるもんだと思っていたが全然そんなこと無かった。

和気あいあいと会話を楽しみながら食べているおじいちゃんグループもいたが、30〜50代の比較的若い人は基本的にぼっちだった。

自分と同じような境遇の「仲間」がいないというのはかなり辛いのではなかろうか。情報も入りづらいし何より精神的な安らぎを全く得られない。もしかしたらこれが若年層ホームレスがなかなか社会復帰できない要因の1つなのかもしれない、という新しい発見になった。


わずか数時間の作業だったが、かなり濃い経験が出来たように思う。

炊き出しだけでなく、他にも様々な支援活動が同じ場所で同時に行われており、炊き出しはあくまでイベントの一つに過ぎないのだと幹部的な人から教えてもらった。結局今日生きる為のご飯を与えるだけでは何も変わらない、という典型的な話に繋がるわけだ。

ここで詳細を書くつもりは無いが、一緒にゴミ箱エリアを担当していた元ホームレスのおじさんが社会復帰した話や、活動資金やら関連団体の話、「結局はホームレスのやる気次第」という現場からの生々しい意見など、ネットでは決して得られない貴重な話も沢山聞くことができて本当に良かった。

現時点で次回の参加は考えていないが、まだまだわからないことだらけなので一度自分の中で知識を整理し、新しく知りたいことが明確になればまた参加させてもらおうと思う。