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ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

自由過ぎる不自由さ

あなたは自由ですか?と聞かれれば大抵の人は不自由だと答えるそうだ。

一般的な自由のイメージは、好きな時に旅行できるとか好きなものを好きなだけ食べられるとか、そういう何でもできる状態としか考えられてないし、確かにそれだけなら不自由な人は多そうだ。

(自由 ⊆ 不自由) かつ (自由 ⊇ 不自由)

一方僕はというと、別に時間やお金の余裕があるわけじゃないけれど、極めて自由だと感じてしまう。

幸い五体満足で生まれてきて(味覚は弱い気がするが)、機能的に困ることはない。教育を受けることができた結果、字も読めるし勉強することに大したハードルも無い。

やりたいことがやれるかという観点でも、別に法を侵したり誰かを傷つけてまでどうしてもやりたいことなんてそもそも想像がつかないし、どうしようもないくらいの楽観主義がそうさせるのか、漠然と何でも出来る気もしている。

こうやってまとめてみるも自由としか言い様の無い状況だけれど、「自由」に付随するポジティブ感は何故だか感じることはできていない。そうして、これはつまり不自由なのか?という葛藤が常にある。「何をしてもよい」という自由は、同時に「拠り所となる制約すら無い」という不自由を生み出しているからだろうか。

無意識レベルの制御こそ自由

最近、ロボット工学博士である森政弘先生の本を読んだのだけれど、彼によると、自由とはフィギアスケートの選手のように、氷上のような不安定な環境において無意識レベルで繊細な「制御」ができている状態である、と言っていてこれが無性にしっくりきた。

不自由な状況を感じさせないような、のびのびとした振る舞い、それこそ僕が求める自由なのかもしれない。

仏教の色即是空、空即是色という、相反する二つが合わさって一つを成すという考え方と同じで、自由もまた不自由という真逆の性質があって初めて自由、または不自由を生じさせるのだろう。

そういう意味では、自由過ぎる不自由さを何となく知覚できてるので割りと惜しいところまで来ている気もするが、如何せん誰かの助言等で成果を確認する術が無いので、しばらくは同じところでぐるぐると廻ることになりそうだ。

自由の中の不自由、不自由の中の自由。こういうことをダラダラと悩むのは本当楽しい。

人生の十字路でその都度迷ってしまう

雑記

地元大阪から東京に出てきて1年が経った。大阪にいる頃は自宅と図書館を往復するだけの生活を送っていた自分が、今やこの大都会のど真ん中でサラリーマンをしているという事実に対して、少し前までは滑稽で面白いと感じていたのだけれど、どうやら最近ではこの生活に慣れてしまったようで、残念ながら当時を思い出すこと自体も少なくなっている。

ところで、これまで20数年生きてきて、年を経る毎に十字路 (選択のタイミング) が増え続けてきたように思う。選択の重さについてはよくわからないが、とにかく選択を迫られることが多くなっている 。僕は「何かを選ぶこと」が非常に苦手なタイプなのでこの状況が結構辛かったりする。

なぜ十字路が多いかは簡単な話で、常に「行き当りばったり」だからなのと、先を見通せなくなっているからだろう。この先どうなるか普通に考えられる人であれば迷わず直進するような道なのに、僕の場合いちいち躊躇してしまう。「選択」が苦手というか、これを選んだらこうなるという想像力と論理がかなり弱いんだと思う。深く考えることが難しい。

東京に来た主な理由である「仕事を見つける」ことは当にクリアしてまっているのにも関わらず、次に何をやるかが全く決まっていない。こうなるのは当たり前だけれど、1年前の僕は「仕事さえ決まれば何か起きるはず」というお花畑状態だった。大学受験の頃と何も変わっていない。

誰だって流されて生きているんだろうと勝手に思い込んでいたけど、周囲を見ていると全然そんな気がしない。みんな何故そんなにも意志が溢れているんだろうか。不思議でならない。

席を譲る煩わしさ

雑記

僕は1時間近くかけて電車で通勤している。基本的に朝も夜も満員電車の中でつり革にぶら下がりながら揺られているんだけど、まれに自分の正面に座っている人が降車して座席が空くと、その瞬間に色々と考えてしまって非常に面倒くさく感じる。

まず座るか座らないかという二択があって、当然疲れていると座るんだろうけど、別に立ったままだと意識を失うほど疲れているわけじゃない。座ったところで、明日の自分の健康状態に与える良い影響なんて微々たるものだ。オフィスでキーボード叩くだけの仕事しかしてないし僕よりも疲れている人は車内にいくらでもいるはずなので、自分が座るのはなんとなく理に適ってない気がしてしまう。

そこで空いた席を譲ろうと周りを見渡すんだけど、今度は誰に譲るかという選択肢が増えすぎて面倒くさい。とりあえず右の人に譲ったとして、ふと左の人と目が合ったりすると気まずいし、明らかに譲った人の方が若かったりすると尚更罪悪感を感じてしまう。

酔っ払って転びそうになっているおじさんを見かけたら、近くの席に座っている若者に対して「譲ってあげればいいのに」と一瞬思いつつも、もしかしたらその若者は今日12時間の肉体労働を終えてクタクタになりながら帰宅しているのかもしれないし、それを僕が裁定できるはずも無いわけで、結局各々が譲るか譲らないのか判断するしかないのだと考え直したりする。

座席が空く度にこんなことを考えてしまうので本当に面倒くさい。

以前は譲る機会が起こらないようにドア付近に陣取るという方針だったけど、あまりに混みすぎて本も読めないので仕方なく座席シート前にいることが多い。

いっそのこと座席の無い車両を作ってくれないかと常々期待している。