ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

ストレスが必要

人よりもイライラすることが極端に少ないという自覚がある。それはストレス耐性があるというか我慢強いというか、そういうポジティブな性質なんだと納得していたけれど、最近はなんかちょっと違う気がしている。

僕に耐性がある理由がわからないし、実際これまで経験したことのないようなプレッシャーを真正面から受ければ、おそらく人並みには狼狽すると思う。そう、つまりそういう理不尽さや理想と食い違う出来事に対して「真正面」から対峙していないんじゃないか? ... そういう仮説を最近見出した。

自分に降りかかる災難を受け流すという技術は、なんとなく Life Hack 感があるけれど、実はそれによって自分の理想や信念を無意識に書き換えているとしたら、それはあまり良いことでは無いと思う。

誰しも動物的な本能よりも次元の高い理想があるからこそ、現実との差異を埋めようとするモチベーションが生まれるし、それにエネルギーを費やし生きていると思っている。それなのに現実に沿うように理想を捻じ曲げて無理やり納得するのは、まるで生きて死んでいるような感じだ。

そりゃ色々と勘案して最終的に妥協することはあるだろうけど、それを無意識にやってしまっていたとしたら理性はどこにあるって話だし、まあ端的に言って動物と同じだ。哲学的に書くなら「人間は常に理性によって自身の魂を震えさせ続けるべき」といったところだろうか。もしかしたらなんかの本で読んだ言い回しかも。

ともかく、こういう無意識に妥協する癖が染み付くと常に理想が現実に漸近してしまうので、そうなると新しいものを生み出すことはできないだろう。職業柄それはマズイし、人生的にもなかなか悲しい。

ということで、今年はもう少しストレスを感じる機会を増やしたいと思っている。

これまで色々なことから逃げ続けたせいで、気づけばストレス社会を欠片も感じない環境でぬくぬくと暮らしてしまっていた。まあ居心地は良いのだろうけど漠然とした不安はある。それをどうにかしていくのを今年の目標にしてみよう。

宗教や思想や自己啓発系の資料に当っても、ストレス社会を乗り切る方法は書いてあっても、その逆は全く見つからない。とりあえず知らない人と話したり新しい趣味を始めてみるとか、そういうことをすれば良いんだろうか。

そう考えると物凄い抵抗を感じる。これがストレスというやつなんだろうな。まあ良い機会だし、今年は積極的に辛い年にしてみよう。