ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

ミニマリストはただの片付け上手

NHKを見てたら、モノを持たない暮らしを実践するミニマリストと呼ばれる人たちについての特集がやっていた。

ワンルームの部屋には家具が一切無く、まるで空き家のようだ。衣服も数着しかなく、スポーツ選手がユニフォームを着る感覚で年中同じ服を使い回すという。

最近流行っているとか言う文句だったが、シンプルライフなんて言葉は昔からあるし、誰かが流行らせたいだけのように思える。まあそれはどうでもいい。

PCはある

カメラにチラッと映っていたが部屋の隅にPCがあった。持たない生活とは言っても出家した坊さんのような厳しさではないということか。そういう人に限って、人並み以上にPCの中はデジタルコンテンツで溢れているんだろう。ソースは僕自身。

シンプルライフやらミニマリストのような考え方は、パソコンやインターネットが普及したからこそ生まれた概念なんだろうけど、それって、ガスが普及したから薪やカマドを持たなくなったり、交通網が整備されたから馬を持たなくなったように、便利なものがコンパクトに集約された結果、自分の身の回りがすっきりしたってだけの現象でしかないのかも。

そう考えると別に大して特殊なわけではないように思える。単なる片付け上手なのか?

Macをバカにできない

こういう変に意識高いヤツは大抵あの薄いMacを持ってたりして、巷ではよく馬鹿にされる対象だが、普段使いのPCとしてLinuxを常用している僕としては、あまり人のことを言えない。

開発環境を整えやすく、サーバー構築も簡単、ドキュメントやバグ報告などの情報もネットに豊富といういくつものメリットがあるので、PCを1台にするとしたら間違いなくLinux搭載のものを残すと思う。

豊かさの反動なのか?

ミニマリストの現象を、豊かさに慣れすぎた反動、という言い方をしている人もいるが、それはちょっと違うと思う。

僕の実家は割と貧乏だったらしく、そういやおもちゃやゲームなんてほとんど買ってもらったことが無かった。僕と同じ世代でスーファミもプレステもゲームボーイも持ってない人っているんだろうか。

それでも大人になった僕の物欲は皆無だし、これからも爆発しそうにない。やっぱりモノに囲まれて育ったかどうかなんてあまり関係ないような気がする。

カネの使い方がわからん

今やインターネット回線さえあれば、世界中で垂れ流されているコンテンツが簡単に手に入る。なので、対価を支払ってモノを得るという常識が常識でなくなりつつあって、簡単に言うと何にカネを使えばいいのかわからなくなっている

これまでは、当たり前のように1000円で映画を見たり、300円でボーリングをしたり、お金の尺度がその行為の価値を決めていた(と錯覚していた)んだけど、ネットから溢れてくる安価なコンテンツはそういう基軸を全部ぶっ壊してしまった。

価値経済とか評価経済とかいうキーワードを何かの本で読んだが、これからは個人個人があらゆる身の回りのモノゴトを自分なりに評価する必要に迫れれているんだろう。

ミニマリストを単に物を持たない変人として扱うのではなく、持たなくていいものかどうか判断できる人、カネの使い方がわかっている人と捉えるべきだと思うし、僕もそうあり続けたいと思う。