ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

地元が無くなった

つい最近引っ越しをした。通勤時間と家賃の安さだけを優先したせいか、駅までの道に飲食店は数店舗しかないし周りに高層ビルも無いという微妙な地域だが、これでも一応東京都民ということになるらしい。ひたすら狭いが、日当たりだけは良いし休日に家に引き篭もるには最適な部屋だと思って気に入っている。

それはそうと僕の母親も少し前に引っ越しをした。地元である大阪府からは出ていないが、まあ色々と理由があって別の市に移ったようだ。つまり僕は実家(といっても賃貸だが)に帰ることが出来なくなったようだ。

昔の友人知人と連絡を取ることはほぼ無いし、その上幼少期に過ごした家も無くなったとなれば、今後はわざわざ地元に行くことは皆無だろう。

年末になれば地元に帰る・帰らないという話題が出るが、そもそも帰る場所が無いというのはこれまでで初めての感覚だ。ただ上京して以来帰省したことは無かったし、実質自分の生活に変わりは無いと思う。帰ったところで絶対的な生活の保障があるわけではないし、結局のところ自分でどうにかしないといけないのは同じだ。もはや地元なんてものは概念ということか。

閉鎖的な地域で育ったせいか、地元というものは物理的に常にあり続けるもののような感覚があった。でも今の僕の状況を考えると地元は常にアップデートされる。数年おきに住む場所を変えて、しばらく経てばそこが地元になる。地域のことを知って愛着が湧いてきた頃にはまた別の場所に移っている。僕はこういう暮らしをしばらく続けそうな、そんな予感がする。

帰る場所があるというのは良いものだ。比べることではないかもしれないが、遠く離れた地方の「地元」より今日帰る家がある方が絶対良い。遊牧民的な生活をしていても、その日その日で帰るべき拠点はあるはずだ。普段当たり前のように現代的な生活をしながら「人はどこでも生きていける」とうそぶくが、やっぱり今日の自分をちゃんと繋いでくれる場所があることは本当に素晴らしい。

1つの帰る場所を失ったことで、今大事にしたい新しい「地元」の存在に気付けたようだ。