ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

忙しさの美徳

2ヶ月半ぶりに文章を書いている。こんなにも間が空いてしまったシンプルな理由としては、「忙しかった」からなのだけれど、本当にそうなのか?そもそも忙しいって何だ?と考え込んでしまった。

「忙」という字の語源は諸説あるようだが、何か外のものに取り付かれて「心」を「亡」くしている状態であるという解説が一般的のようだ。確かに「忙しい」を発する時、本当は他にやりたいこと (心) があるがそれを実現できない嘆きを同時に表現している気がする。

そう考えると、いくら残業時間が3桁に達しようとも自分にはやりたいことを我慢している感覚が無いので、そういう意味での心は亡くしてないし、つまり忙しくないのかもしれない。これが睡眠や食事の時間が削られて無意識下の欲求にすら影響しだすとまた話は違ってくるんだろうけど。

多分、我欲に忠実な人ほど忙しい人生を送っているんだろう。普通はネガティブに捉えられがちだけれど、忙しい人は前提としてやりたいことがたくさんあって、つまりは夢や希望に満ちているとも言える。忙しいことは素晴らしい。それを超えた先には無限の可能性、明るい未来が続いているのだから何も嘆くことは無いんだ。とか言ってみたり。

ちょっと考え方を変えるだけで180度ポジティブな生き方になるのだから、僕らは本当にいい加減な存在なんだなあと思う。


ところで、以前は「今日は早めに帰宅してゲームをしよう」と自覚的に予定を作って会社に通っていたこともあったけれど、最近では特にやることもないので適当にオフィスに居残り、残業代は20時までしか出ないことになっていても結局終電までダラダラ過ごすようなことが多くなっている。この無自覚に惰性で生きている感じ、あまり良くない気がする。少しは「忙しい」と言えるぐらい何かに追われていた方が健全なのかもしれない。