ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

転職活動という趣味

面接というのは自分を見つめ直すいい機会になる。普段から自分を意識して生活することは難しいし、より深い答えは、やはり他人との問答、言葉のやりとりの中でこそ生まれるのだろうな。とか思ったりするのは、最近よく面談(0次面接?)に行っているからだ。

下手な志望動機を作るのはバカらしいので、面接前から「今やりたいことが無い」と断った上で、いつも担当者に会いに行く。そうすると批判されるどころか、親身になって相談にのってくれる人が多いことに驚く。それは、僕が選んでいる企業が数十名規模でベンチャー気質のある会社だからだろうか。それとも売り手市場という市況感によるものだろうか。

とりあえず堅苦しいやり取りは一切無いので、こういう転職活動はかなり楽だ。新卒向け面接でよくある、「御社の事業は…」とか「自己実現が…」とか定型文の応酬みたいなものも求められないので、純粋に面談を楽しむことができる。

恋をしたい

採用担当者から色々なパターンで突っ込まれると、自分が漠然と考えていることが、ふとしたきっかけで言葉になって現れたりするから面白い。

この間も「あなたにとって仕事とは何か」といった話の中で、「自分にはこれしか無いと思える仕事と出会いたい」と思い至り、つまりそれは「恋をしたい」ということです、なんて表現が口から出てきたりした。理想や快楽だけを夢想しているという点で、今の自分を正しく説明しているような気がして、妙に満足してしまった。

自己中なのか当事者意識が強いのか

いつも自分のことを自己中心的だと認識してきた。人のために何かするということはあっても、それは人のために「自分がしたいと思う」からやっているだけで、常に自分の意思だけを尊重して行動しているという自覚があるからだ。

この前、「自分はどんな人間だと思うか」という質問を受けた。この手のテーマはほぼ毎日自問自答しているつもりではあったけど、やはりこうして改めて聞かれると上手く答えられないものだ。苦労しながらも、上記の「自己中な自分」について話したところ、それは「当事者意識」というものに近い、と指摘された。

当事者意識と言うと凄くポジティブな印象を受けるので、なんかこう僕には相応しくない感じがする。そうやって自分に合っているかどうかが絶対基準である時点で、やっぱり自分は自己中なんです、というところで着地したのだけど、上手く伝わったんだろうか。言葉で考えていないことを人に説明するのは本当に大変だ。

ちやほやされたいだけ

あくまで面接ではなく面談なので、具体的な技術力の査定であったり、ガチな感じの質問はぶつけられない。むしろ、是非うちに来てください、なんて言われるものだからつい有頂天になってしまう。建前だとしても、チヤホヤされるのはやっぱり心地が良いし、知らない業界の話を好きなだけ聞けることがとても楽しい。

このまま「楽しい」だけを求めて彷徨っているわけにはいかない、と常識では理解しつつも、今できる精一杯がこのフラフラした感じであると思ってしまうのは、やっぱり逃げなんだろうか。

とりあえず毎週1社ぐらいのペースで、しばらくはあちこち彷徨ってみようと思う。「逃げ」だとしても、別にどっちでもいいことだ。