ニートワークエンジニア

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欲望の格差

この前久々にテレ東の「未来世紀ジパング」を観たらタイに関する話題を扱っていた。タイは「幸せの国」としてよく知られているけど、これは国が幸福を政策のメインテーマとして掲げている唯一の国だからだ。また数年に一度、国をあげて幸福度調査を行っていることも有名だろう。

国連でも独自の調査で国別の幸福度ランキングを発表しているが実はタイの順位はかなり低いらしく、番組によると確か70位とかだったと思う。

幸福の国(自称)

「幸福の国」なのになぜランキングが低いのか。

それは、国連の調査はタイのようなアンケート形式では無く、一人当たりのGDPとか労働時間とか平均寿命とか、そういう定量的に計測できる値から算出した幸福度であるからだ。タイは世界トップクラスで短命なのでその点でかなりマイナスになっているんだとか。

そういう意味で、タイの人たちを客観的に見れば幸福とは言えないのかもしれない。自給自足の農家は大変だし、医療は充実していないし、インターネットが月500円で使える格安Simなんてあるはずもない。

それでもタイ国民に「現在の幸福度は?」と「理想の幸福度は?」という2つの質問をすると驚くほど2つの回答結果が乖離しないらしい。つまり現状に多少不足があっても、それが自分に合っている、十分満足している、そう考えられる人が多いということだ。

ゆとり→悟り

タイの国民性はマジで一種の悟りのようなものだが、最近の日本の若者も同じような傾向にあるのかもしれない。良くも悪くもギラギラした上昇志向は持たず、のんびり生きようとする輩だ。phaさんとかもそうだけど、そういう脱力系の著名人が注目される機会は確実に増えてるように思う。

その一方で世界に目を向ければグローバルなマネーゲームによって国が財政破綻しそうになったり色々と騒がしい。やっぱり人間の欲望に際限は無いかのような印象を受ける。

世界はともかく日本においては「欲望の格差」が開きつつあって、そこに歪みのようなものが生まれているように思う。例えるならフルマラソンに挑みたい人と、町内を散歩したい人が同じ駅伝チームにいるような感じだろうか。

走りたくないのに無理やり試合に参加させられるのは辛い。人それぞれ自分のやりたいように生きれたら一番いいんだけど、なかなかその住み分けは難しい。お金や法律といったインフラを共有している以上どっかで協調しなきゃいけない。

偽物の清貧

「足るを知る」って言葉があるように本来日本人はタイの人々と感性が近いと思うんだけど、本当の意味でそっち側に逆行することはなさそうだ。経済成長ってのはある意味「パンドラの箱」なのかもしれない。

まあとりあえず僕は一生自分のペースで散歩してたいと改めて思った。