ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

働く意味がちょっとわかってきた。働いてないけど

そりゃ生活の為にお金が必要だから働くのは当然なんだけど、本当にそれだけだろうか。逆に、働き続ける為にお金を貰って生活してるという考え方はどうだろう。

例えば宝くじが当たったとする。最初の数カ月間はブルジョアな生活を満喫したとしても、そのうち何かしらの生産的な活動をしたくなるんじゃないだろうか。

僕の場合「やりたいことが無い」と自嘲している手前、あまり認めたくはないけど最近は「何でもいいから働いてみたい」という思いが少しずつ芽生えている気がする。毎日図書館に通って読書をすることに飽きたわけじゃないが、何か物足りない。

つまりお金とは関係ない部分で、働きたいという欲求があるんだと思う。

労働報酬は「人間である証明」

でもお金を貰わずにボランティアをしたいわけじゃない。むしろ、金銭という形で労働の対価を貰うことに意味があるんだと思う。

自分が労働した、つまり役にたった具体的な証拠として賃金を貰う。そこで初めて自分が社会の一部だという実感を得られる。それを繰り返して徐々に自分を確立していくことが、社会動物「人間」として生きるということであり、「働く」という言葉が意味するところなんだろう。

誰しも他人から承認されたいという欲求をもっている。それを満たす為に人より良い成績を目指したり、上手く人間関係を構築したりする。他にも芸術的な自己表現をしたりエンタメ能力を磨いたりする人もいるかもしれないけど、「働くこと」もそういった挑戦の一つなんだと思う。

原点は2ちゃんねる(笑)

去年の夏、ニート生活まっただ中であった僕は、2ちゃんねるのとあるスレッドでちょっとしたネットビジネス仲間を募っていた人にコンタクトを取り、途中から合流した。結局そのプロジェクト自体は頓挫してしまったんだけど、今思えば僕にしてはかなり行動力があったなあと思う。

その妙な行動力がなぜ生まれたのか考えてみる。ちょうどその頃から大学院に行かなくなり、友人とも連絡を取らなくなっていたんだけど、そういう状況がかなり影響してると思う。

単に「寂しかったんだ」と言ってしまうことも出来るけど、「寂しい」という感情もまた人との関係性、承認を望むということだ。

そして、もちろんビジネスだから利益を追求する。そういう方法で社会に働きかけることで「自分」をみつけたかったんだと思う。

ニートはもっと寂しさを感じろ

ネットは怖い。ネットだけの情報で満足してしまうほど、アプリもインフラも便利になり過ぎている。ツールとして有効に使う人は全然問題ないんだけど、多くの人は全て見知ったように錯覚してしまう。

そして自分自身すら錯覚させてしまうのは、もはや麻薬に近いだろう。「自分はこんなにも情報や(ネット内の)人間に囲まれていて全然寂しくない」と思ってしまうと終わりだ。

人が苦手だから部屋に閉じこもるのは悪循環でしかないし、人を知らないことに寂しさや恐れをもっと感じるべきだと思う。

こういうネット中毒みたいな現象が起こるのは、今のネットに限界というか、不備があるからだと思う。

「リアルとネットの融合」という言葉がよく言われるが、「ネット依存」という文脈では、融合というより「リアルへの昇華」の方がしっくりくる気がする。リアルの情報をスマホに集約するのでは無く、人を動かすための情報みたいな。うーん漠然としてるから後々考えたい。

僕は上に書いたようにネットをあくまで手段として使ったから、ある意味で外に出ることができたんだと思う。今でもまだ全然ニートだけど、少なくとも「自分をみつけるためには働くしか無い」と思い直すことができた。

これを負け組とか社畜乙という人もいるかもしれない。でもそういう人は社会の中で自身の変化を実感しない限り社畜乙」の先の発想に辿りつけないだろうし、変化の無い人生ほどつまらないものは無いと僕は考える。

相変わらずまとまらない

色々書いたが、社会にはやりたくない仕事でも我慢しながらこなして必死に生きている人がいくらでもいるし、そういう人からすれば僕はきっとお花畑なんだと思う。

実際働き出したら考えも変わるだろうし、後悔することもあるかもしれないけど、そういう自分自身の変化を感じられるだけでも、やっぱり働く意義は絶対ある。