ニートワークエンジニア

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ニコ生で加害者宅に凸

ダブルスタンダード

どんな凶悪事件を起こしても、未成年なら顔も名前も報道されない。一方でネットはボカシの無いリアルな情報で溢れかえり、名前や顔だけでなく卒アル写真や家族、友人に関することまで明らかになってしまっているのが現状だ。

一応、少年法では以下のように規定されている。

第六十一条 家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。(電子政府の総合窓口e-Gov イーガブ)

しかし罰則が規定されていないからか、ネット社会は完全に無法地帯となっている。

ネットではこういう事件が起きる度に加害者を特定しようという動きが生まれる。特に2ちゃんねるでは各掲示板でチームのようなものが組まれ、SNSの中に埋もれた些細な情報をサルベージし、また自治体や学校などにも連絡を取って最後には直接加害者の自宅まで押しかける、といったことがいつも行われている。

僕はこういうネットでの異常な盛り上がり、熱狂ぶりにちょっとついていけない、というか気持ち悪さすら感じてしまう。決して加害者を擁護しているわけではない。

実名を暴くという正義の制裁

Justice Gavel
Justice Gavel / toridawnrector

こうした『特定行為』はなぜ行われるのだろうか。ニコ生で突撃取材をした少年は「新たな犠牲者を生まない為に、法律では成し得ない裁きを与える」というような事を言っていたが、多分こういう正義感が一連の特定行為を誘発していると僕は思う。

ネットが一般的になった現代においては、犯罪者が刑期を終えて出所したとしても彼らに関する情報はネット上に永遠に残り、そして重要なのは誰もがそれに簡単にアクセスできるということだ。

更生の可能性があるとして刑が軽くなったとしても、ネットの情報によって永遠に制裁を受け続けることになる。これこそが特定班の人々が掲げる正義の制裁なのだ。

確かに今の少年法は加害者を過度に守りすぎていると僕も思うが、だからと言って個人が裁きを与えるというのは法治国家として決して認められてはいけない。

特定厨

そして何より気持ち悪いのは、『本当に少年法に異議を感じ正義感をもって行動する人々』と『ただの祭りと思って楽しんでいる奴ら』が一緒になっていることだ。

後者は、間違いを犯した人間を攻め立てることで無意識に自分の正当性を確保しようとしている。あるいは日常で感じている不安や葛藤を解消するため、単なる憂さ晴らしのように加害者を集団で吊るしあげているだけだ。

そんな人間には正義なんて存在しない。

本当の正義が『特定厨』というような揶揄に埋もれてはいけない。