ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

情報過多の現代こそ抽象的思考が大事

absoluteabsolute / paul bica

ニートが社会について考えるブログ 「抽象」の欠落という不幸

最近僕が考えていたことをズバリ書いていくれていたので読んでいて勝手にすっきりできた。僕の解釈と展開が間違っている可能性もあるのでソースを要参照。

具体的情報に弱い

人間は皆具体的な情報に影響を受けやすい。「○○を成功させる×個の方法」だとか「△△に聞いた□□のテクニック」など、流行りのビジネス書やネットで一時的に話題になった記事のタイトルを思い出せば一目瞭然だ。

容易に影響される、流されやすいというのは弱さでもある。人間はそもそもコンピュータのように具体的な物事を淡々と処理することは苦手なんだろう。ましてや現代社会においてはブラウザを開けば頭に入り込む具体的な情報、言い換えればただの『知識』が多すぎて『知恵』や『知見』を獲得する段階へ進められていないように思う。具体的情報の海で溺れないよう自分を保つために、物事を抽象的に捉えて本質を見抜けるようになりたいものだ。

抽象 = 寛容さ

全然詳しくないのだがここ最近国際情勢が騒がしい。イスラム教の風刺画に過剰反応するテロリスト、異教徒の心を踏みにじり風刺を擁護するフランス国民。あらゆる騒乱は寛容さ(抽象)の欠如に起因していると考えてしまう僕の頭はお花畑なのだろうか。当たり前だが人は誰しもお互いに違っているので自分のものさしや空間で相手を理解するなんてことはもとより不可能だ。だが自分や相手を抽象化して捉えられれば、お互いが共存できる高レベルなレイヤが見つかるはずである。そこでの交流が本当の意味での『思いやり』のような気がする。

 

とか偉そうなことを言いつつ、この記事のタイトルもまた具体的で人に媚びている感じがして何とも言えない。