ニートワークエンジニア

浪人、留年、休学、中退、ニート、エンジニア。回り道人生を謳歌中

「やりたい仕事がない」は甘え

自分がやりたいことが分からないから就活が億劫になりそのままニートへ…僕のような大卒ニートにありがちなパターンだと思う。でも実際、ちゃんと就職している人の中で本当にやりたい仕事が定まった上で働いている人は少ないだろう。皆どこかで折り合いをつけていくものだし、それが大人になるということ。僕はやっぱり子供のように甘えているだけなのかもしれない。

何に価値を見出すか

例えばお金が大事だと思うなら業種別の所得ランキングを見ればいいし、余暇を大切にしたいなら年間休日数や有給消化率を調べればいい。そういう風に価値の方向性を一元的に決定できればこんなに楽な就活はない。普通はあらゆる方向にあらゆる価値を感じ、指標化できないものに憧れたりしてしまうから厄介なのだ。そして『働きがい』だとか『生きがい』とかを考え始めると、最終的にはいつも「人が生きる価値とは?」という究極の自問に帰着して行き詰まってしまう。そんな人類史上、何百何千年を経ても一向に答えが出ないような問題にクズニートが立ち向かえるワケもなく、思考停止してしまう。

やりたいことが多すぎる説

では発想を変えて「実はやりたい仕事がありすぎて定まらない」というのはどうだろう。以前自分の生活に関わっている仕事について調べたことがある。PCなど身の回りの製品について考えてみるだけでも、それらを企画する人、実際に製造する人、販売する人、運送業の人、そしてそれぞれの企業を支える人材派遣や金融業など、どれか一つ欠けても僕の生活は成り立たないし全てがとても尊いものだ。一番なんて定まるはずもないし、片っ端から挑戦しても時間が全然足りない。『一度きりの人生』ってのに囚われすぎて人生を無駄にしているとは何とも皮肉なことだ。

やっぱり甘え

うだうだ言ってみたが、普通の人はこういうのを全部飲み込んだ上で当たり前のように働いて、生きている。そもそも労働はある程度『強制』から生じているものだ。生きるために必要だから働いているワケで、それを自由に選択しようとして悩んでいる時点で間違っている。『できる仕事』が何もないクセに『やりたい仕事』を探しているなんて、やっぱりただの甘え以外の何者でもない。